「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学 2014-03-19
01.アドラーの 「嫌われる勇気」 って、どんな本? 2014.03.19
今年、ベストセラーになっている 「嫌われる勇気」 を読みました。
タイトルだけ読むと、 「好き嫌い」 について書かれた本だと、思われるかもしれません。
もちろん、 「嫌われる勇気を持ちなさい」 と、書かれています。
しかし、それはごく一部に過ぎません。
この本の中には、もっと重要なテーマが書かれています。 それは 「幸せに生きる方法」 です。
実は、「あること」 に注意すれば、多くの人が、今よりも、ずっと自分らしく幸せに生きる ことができます。
自分を好きになれない、自信が持てない、自分らしさを発揮できない、などと悩まなくても、済むようになります。
その 「あること」 とは ・・・ 「周囲の人との関わり方」 ではないでしょうか。
私が、この事実に気づいたのは、29歳のときのことでした。
アルベルト・アインシュタイン博士の言葉から、大きなヒントを得て、生き方を変えました。
それ以来、試行錯誤を重ね、構築してきたものが、この本の内容と、ほぼ一致していたのです。
この 「嫌われる勇気」 は、よくある安易な自己啓発本ではありません。
オーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラー (1870〜1937) の心理学に基づいて書かれています。
具体的には、自信が持てない若者と、 「人は今日からでも幸せになれる」 と説く哲学者との、対話形式が採られています。
おかげで、 誰もが小説のように気軽に読める本 になった、のではないでしょうか。
24年間、実践してきた者として、私はアドラーの提唱する生き方を、多くの人にお勧めします。
自分らしい生き方を取り戻せば、自由、解放感、充実感、達成感、責任感、自他の尊重、貢献の精神などを、得ることができます。
おかげで、同世代の人たちと比べ、 人生における疲労感は、格段に少ない ようです。
また、その結果として、公私ともに、より多くの成果が得られたのではないでしょうか。
アドラーが提唱する生き方と、その他の生き方の違いは、表面的なものから発生している訳ではありません。
根本的な考え方の違いから、発生しています。
この本の中には、その仕組みが書かれています。
ぜひ、内容をマスターされ、本来の自分らしい生き方を、発見 していただければ幸いです。
02.自分の人生に責任を負う 2014.03.23
アドラーによれば、人は変わることができます。
しかも 「亡くなる2、3日前まで可能」 なのだそうです。
それでは、 「これからの人生」 を、自分自身の力で変えていくためには、どうすればよいのでしょうか。
まずは、 「これまでの人生」 に対して、責任を負う ことです。
「今の自分は、何故こうなったのか」 に対して、2つの考え方があるそうです。
フロイトの 「原因論」 によれば、 「過去の○○が原因で、今の自分はこうなった」 と考えます。
たとえば、部屋に引きこもるようになったのは、過去の失敗が原因でトラウマになった ・・・ など。
しかし、同じ失敗をしても、トラウマにならない人も大勢います。
一方、アドラーの 「目的論」 によれば、過去の出来事は関係ありません。
それは 単なる事実に過ぎず、そこに 「どんな意味づけをしたのかによる」 と考えます。
同じ出来事を経験しても、その事実に対して 「よい意味づけ」 をする人もいれば、 「悪い意味づけ」 をする人もいます。
つまり、問題は 「何があったか」 ではなく 「どう解釈したか」 。
さらに、アドラーによると ・・・
その 「意味づけ」 は、本人が何らかの目的を果たすために行ったもの だと。
たとえば、「学校や社会に出て、自尊心を傷つけられたくないから、部屋に引きこもる」 という目的が、先に存在しています。
その目的を果たすために、過去の出来事に対して、本人が 「悪い意味づけ」 を、行ったのだそうです。
だから、まずは、 今の自分に対して、不満があったとしても、過去や他人のせいにしない ことです。
「目的論」 に従って、 「自分が選んだ結果」 として、認めなくてはいけません。
このようにして、これまでの自分に責任を持てば、人生に対して主体性を取り戻すことができます。
主体性を取り戻すことによって、今後の人生を、自分の意思で変えられるようになります。
もし、他人に騙され、辛い目に遭ったとしても、私は、自業自得だと、考えるようにしています。
また、辛い目にあっている最中でも、 「つくづく馬鹿だな〜」 と、自分の愚かさを、笑ってやります。
自分よりも賢明な人、苦労した人であれば、このような失敗など、犯さなくて済んだからです。
もし、自分自身を向上させたいなら、まずは自分が原因であることを、さっさと認めてしまう ことでしょう。
03.変われないのは、「勇気」 がないから 2014.03.25
人は、10歳までに自分のライフスタイル (人生のあり方) を、自分で決めるそうです。
人間関係などから、最適なものを選ぶそうです。
「素直なよい子」 「リーダー」 「パイオニア」 「ひょうきん者」 「傍観者」 など、様々なタイプを選択します。
幸せであり続ければ、最初のライフスタイルのまま、人生をまっとうすればよいでしょう。
しかし、うまくいかなければ、ライフスタイルを変更する必要 があります。
「目的論」 にそって、事実に対する 「意味づけ」 を変えれば、ライフスタイルを変更することができます。
私自身は、ライフスタイルの改善を、日課にしています。
たぶん、一生、この作業を続けることでしょう。
本をたくさん読むのも、そのためです。 目的論によれば、自分の未熟さは、すべて自分に原因があります。
その未熟な思考回路を使いまわしても、新たな 「意味づけ」 を見いだすことはできません。
だから、思考回路そのもの、つまり考え方や価値観を、改善 しなければいけません。
そのためには、自分より優れた人の考え方や、価値観に触れる 必要があります。
私は、読書が最も有効な方法と考え、時間さえあれば本を読んでいます。
本は、好きなときに読め、しかも効率よく吸収でき、さらに金額的に安くすみます。
ビジネス本は、だいたい1冊1,500円ですが、1万倍以上になって戻ってくることもあるでしょう。
アドラーは、今後の人生をどう生きるかについて、過去は関係ないと述べています。
自分の人生を決めるのは、 「今、ここに生きる自分」 しかいないと。
だから、今、この瞬間に、 「自分は絶対に変わってみせる」 と、強い決意を持つことです。
もし、そうしなければ、昨日までの自分を、そのまま続けることになるでしょう。
中は、自分も家族も困っているのに、ライフスタイルを変えない人がいます。
アドラーによれば、それは本人が 「変わらない」 と固く決心したから、なのだそうです。
ライフスタイルの変更には、未知の不安や不満がつきまといます。
けっきょく 「今の私」 でいる方が楽、つまり幸せになる勇気がない から、なのだそうです。
04.劣等感は、「健全」 なもの 2014.03.27
人間は、 「無力な状態」 で生まれてきます。
保護者がいなければ、数日以内に亡くなることでしょう。
このままの状態では、自力で生きることができません。
本能から指令を受け、「早く、この状態から脱したい」 という欲求 を、強く持ちます。
ところが、すぐに一人前になれる訳ではありません。 1mジャンプするつもりが、80㎝しか飛べず、水たまりに落ちたりします。
このように、理想 (目標) の自分に到達できないとき、自分が劣っているかのような感覚 を抱きます。
これが劣等感の正体なのだそうです。
理想 (目標) とは、向上心があることの証しです。 また、向上心がある限り、すべての人が劣等感を持ちます。
アドラーは、 「劣等感そのものは健全なもの」 と述べています。
つまり、 「劣等感」 とは、むしろ好ましいものなのです。
劣等感は、 「客観的な事実」 ではなく、 「主観的な解釈」 から 生まれます。
たとえば身長が160㎝だとすると、その 「客観的な事実」 から、劣等感が生まれる訳ではありません。
そこに 「どのような意味づけを行うか」 によって生まれます。 その結果、同じ160㎝でも、 「自分は背が高い」 と思う人もいれば、 「自分は背が低い」 と思う人もいる訳です。
身長160㎝という 「客観的な事実」 そのものは、動かすことができません。
だから 「どうして自分の身長が160㎝なのか」 と悩み続けても、人生は何ひとつ改善されません。
自分の生い立ちや学歴、出身地、過去の出来事などについても、同じことが言えます。
つまり 「自分の力で変えることができない」 ことについて悩むのは、無駄なこと なのです。
一方で、 「主観的な解釈」 は、自分で選ぶことができます。 もし、主体性のある人生を取り戻したいのであれば・・・
「客観的な事実」 に対して、自分が 前進できる、向上できる、幸せになれるような 「意味づけ」 を行うべきでしょう。
ただし重要でないことについては、 「あえて意味づけをしない」 という、選択肢もあります。
05.他人と自分を比較しない 2014.03.30
人は、それぞれ異なる人生を歩んでいます。 まったく同じ条件で生きている人など、どこにもいません。
だから、誰と比較することもできないし、比較すること自体が無意味 なのです。
「それぞれの人が、それぞれの人生を歩んでいる」 、ただ、それだけのことなのです。
しかし、多くの人が 「他人」 と比較して、劣等感に悩まされます。
アドラーは、それを不健全なものと、述べています。
もともと比較できないので、解決方法さえ見つかりません。
不幸を味わうために、あえて悩みを増やしているようなものです。
「他人」 と 「自分」 を比較すると、神経をいたずらに消耗 させます。
他人は無数に存在するため、終わりなき消耗戦から、抜け出せなくなります。
それが原因で、精神的に疲れ、自分自身の成長や、重要課題への挑戦を、あきらめてしまう人もいます。
結果的に、成果の乏しい、無気力な人生を送ることになるのではないでしょうか。
だから、 「他人と自分との比較」 をやめる ことです。
しかし、人間とは、何かと比較しなければ、成長 (成熟) する気になれないものです。
成長 (成熟) が止まると、やがて人生がつまらなくなります。
仕事に対しても、情熱や向上心が持てなくなります。
それでは 「今の自分」 を、何と比較すればよいのでしょうか。
それは 「理想 (目標) の自分」 です。
アドラーは 「理想 (目標) の自分」 と、 「実際の自分」 との、比較から生まれる劣等感は、健全なもの と述べています。
この健全な劣等感を、努力によって克服していけば、そこに成長 (成熟) を、実現させることができます。
「理想 (目標) の自分」 は、必ず自分自身で考え抜く ことです。
もし 「他人の願望」 を、優先させてしまうと、再び 「他人との比較」 の道に、逆戻りしてしまうからです。
人生のうち、ごく一部のことを除けば、大半はどうでもよいことです。
どうでもよいことは、周囲に合わせておけば、無用な摩擦も減り、つまらない時間も、節約できるのではないでしょうか。
06.他人と競争しない 2014.03.31
他人と自分を比較する人は、相手によって 「他人より劣っている」 と感じます。
アドラーのいうとおり、人は劣等感に耐えきれないので、早くこの状態を解消させようとします。
ここで、もし相手との差が大きい場合は、なるべく近づかないようにするでしょう。
自分以下の相手とだけ、つきあっていれば、劣等感を抱く恐れがないからです。
反対に、もし相手との差が小さい場合は、そこに 「競争意識」 が生まれます。
競争の先には、必ず勝者と敗者 がいます。
敗者にならないためには、自分が勝ち続けるしかありません。
さらに、勝ち続けても、いつ負けるのかと、心の安まる暇がありません。
身近な人が幸せになると、自分が不幸になったと、感じる人もいます。
逆に、誰かが不幸になると、自分が幸せになったと、感じる人もいます。
アドラーは、他人と競争する人は、自分以外の人を、やがて 「敵」 と見なす ようになる。
いくら成功しても、 「世界は敵で満ちあふれた危険な場所」 と感じると、述べています。
他人と比較さえしなければ、他人より 「優れている」 とか 「劣っている」 と、感じなくなります。
「他人と競争する」 という概念そのものが、存在しなくなります。
健全な劣等感とは、 「理想 (目標) の自分」 との比較から、生まれるものです。
だから、 「他人との競争」 ではなく、 「自分との戦い」 に、力を注ぐ べきです。
「今の自分」 と戦うためには、もう一人の 「理想 (目標) の自分」 の存在が、必要になります。
もし、理想の自分が、世界で最も厳しい存在になれば、自分以外の人がやさしく思えてくる でしょう。
一所懸命、自分と戦っていると、その姿を見て 「頑張ってるね」 と、周囲の人たちから励まされるものです。
その結果、 「世界はやさしい人で満ちあふれた安らかな場所」 に変わります。
人間社会とは、実は、すさまじい競争社会なのかもしれません。
しかし、他人との競争に明け暮れると、晩年まで、神経がもたないのではないでしょうか。
そこで、あえて、 他人との競争に参加せず、未熟な自分とひたすら戦う。
これが 「成功」 と 「幸福」 を、両方、手に入れる方法ではないでしょうか。
07.経営に生かす (社風の改善) 2014.04.06
前回までの内容をおさらいをすると、自分を評価する方法には、2つあります。
①自分の周囲にいる人たちと比較して、自分を評価する方法 ・・・ 「相対評価」 と呼ぶことにします。
②理想 (目標) の自分と比較して、今の自分を評価する方法 ・・・ 「絶対評価」 と呼ぶことにします。
自分自身に対する評価方法ですから、いつでも自由に、自分で選ぶことができます。
自己評価に 「相対評価」 を用いる人が増えると、社内の生産性が低下 します。
なぜなら、メンバーの関心が、組織内に向かってしまうからです。
その結果、 「人間関係」 の問題が増加し、経営者はつまらないことに煩わされます。
新人いじめ、派閥作り・争い、上司への媚びへつらいなどが、絶えないのではないでしょうか。
また、その悪影響は 「労使対立」 にまで及ぶ可能性もあります。
同業他社の労働条件と比較して、不満を言い立てる社員もいるかもしれません。
これらが原因で、本来、重要な 「全体利益」 や 「顧客サービス」 、 「組織の将来性」 などの問題が、忘れ去られます。
会社の成長は止まり、やがて業績は下降することでしょう。
そこで、社風を 「相対評価」 から 「絶対評価」 へ、変えなければいけません。
ここでいう 「絶対評価」 とは、学校などで、生徒の成績を決めるために実施しているものとは異なります。
他人が評価するのではなく、自分自身で評価するものです。
つまり、他人との競争をやめて、自分の頭で考えながら、自分自身を成長させる 思考回路を定着させます。
社風が、 「相対評価」 から、 「絶対評価」 に変われば、人間関係の軸が、 「競争」 から 「尊重」 に 変わります。
なぜなら、1人1人が強みを生かし、弱みは他の人の強みで補うことになるからです。
このあたりは、ドラッカーのマネジメント理論を参考にされると、よいのではないでしょうか。
同じオーストリア出身の、アドラーとドラッカーの主張には、共通するものが感じられます。
また、 「他人」 を意識した行動や発言に対しても、注意をはらうべきです。 もし、個人的なアピールが過ぎれば、他人を強く意識している可能性があります。
その根底には、 「他人との比較」 「他人との競争」 「他人に対する敵意」 がある はずです。
もし、気づいたら、 「当社としては、評価できない」 という態度を示すべきでしょう。
08.名誉や権力に近づかない 2014.04.07
前東京都知事の猪瀬直樹さんが、徳田虎雄さんから多額のお金を借りて、その地位を失いました。
このお金を貸した側の徳田さんは、以前、多くの人から、尊敬される立場にありました。
理想の医療制度を目指して、医師そして政治家にまでなられた方です。
そのような方が、なぜ、親族まで巻き込んで、お金に関わる犯罪を主導してしまったか。
権力者のすべてが、犯罪に関わる訳ではありません。
しかし、名誉欲や権力欲ほど、人を間違った方向へ導くものはない ということを、この事件で再確認しました。
アドラーと同じ、オーストリア出身のアインシュタイン博士の名言があります。
イスラエルの第2代大統領に推薦されたとき、 「私にとって、政治は複雑過ぎる」 と言って、断ったそうです。
私は、権力を全面的に否定する気はありません。
権力を行使しなければ、組織の秩序が維持できないケースもあるからです。
もし政治や経営の場において、トップに権力がなければ、現場の混乱はさらに続くことでしょう。
ただし、権力は、健全な範囲内で、正しく使われることが条件 です。
アドラーは、権力争いについて、次のように述べています。
面前で相手を罵倒する者は、純粋に何かを議論したい訳ではない。
実は 「権力争い」 という目的を隠し持っている。
勝つことや屈服させることによって、自分の力を証明したい。
また、権力争いに負けた者は、復讐戦に入り、当事者同士による解決は不可能 になる。
だから 権力争いには絶対に乗ってはいけない。
相手の挑発には、絶対に乗ってはいけない。
このように述べています。
幸いにも、私たちは先進国に住んでいます。 名誉や権力などなくても、ふつうに幸せに生きていけます。
だから、名誉や権力とは、意識して距離を置きましょう。
これが 「権力争い」 に巻き込まれずに、幸せに生きていくコツではないでしょうか。
09.我慢 (がまん) をやめる 2014.04.11
斎藤一人さんの本を読んでいて、なるほどと思うことがありました。
それは 「我慢の我は、我が強いの我」 。
我が強い人ほど、我慢する。
我を克服した人ほど、我慢しなくても、うまく生きられるということです。
これまで、多くの人と仕事をしてきましたが、この話には大いに納得しました。
たとえば従順な態度の人には、2種類あります。
過ちを指摘されたとき、反省する人と反省しない人。
反省する人は、二度と同じ過ちを繰り返さないように、注意 します。
一方、表面的に、頭を下げるだけの人がいます。
内心では 「自分の方が正しいが、仕方なく我慢してやった」 と考えるため、反省しません。
自分の考えを表明して、きちんと議論する勇気もないため、その間違いに気づくこともありません。
このような人は従順そうに見えますが、実は、大変、我の強い人だと思います。
逆に従順でない人も、2種類います。
同じように、反省する人と反省しない人。
従順ではないが、反省する人が、最も速く成長 します。
なぜなら、過ちを指摘される回数が、圧倒的に多いからです。
アドラーは、我慢について、次のように述べています。
「我慢する」 とは、怒りをコントロールする方法であり、その発想そのものが、権力争いに囚われている証拠だと。
怒りそのものを、コントロールしても、そこに反省や前進は見られません。
それよりも、怒りを避けて、言葉と論理によるコミュニケーション をマスターしたいものです。
日本では、よく、 「我慢が大切」 と言われます。
しかし、本当に大切なのは、 「我慢」 ではなく 「忍耐」 ではないでしょうか。
「忍耐」 とは、古代から西欧に伝わる 「四元徳 (4つの徳) 」 の1つなのだそうです。
苦しくても、耐えながら、反省点を見つけて、改善を重ねることでしょう。
10.人生のタスクから逃げない 2014.04.15
以前、 「他人との比較をやめて、理想の自分と、現在の自分を、比較しよう」 という話がありました。
しかし、 「理想の自分」 と言われても、なかなか思いつくものではありません。
そこで、まず、目標を設定してみましょう。
アドラーは、 行動面と心理面の2つに分けて、次の目標 を掲げています。
A.行動面 ① 自立する ② 社会と調和して暮らす
B.心理面 ① 「自分には能力がある」 という意識 ② 「他人は仲間である」 という意識
これらの目標を達成するためには、人生のタスクから、逃げてはいけないと、アドラーは述べています。
人生のタスクとは、 「社会で生きていく上で、直面せざるを得ない人間関係」 なのだそうです。
さらに、 「仕事のタスク」 「交友のタスク」 「愛のタスク」 の3つに分けています。
仕事、交友、愛 (恋愛、夫婦、親子) の場で、それぞれ直面せざるを得ない 「対人関係の距離と深さ」 の問題があります。
人は、人生のタスクと向き合うことによって、自分を成長に導く課題と、出会うことができます。
その課題に取り組むプロセスの中から、生きていくために必要な教訓を学びます。
これらの作業を繰り返した結果、前述の4つの目標 (A①②、B①②) が達成されていくそうです。
だから、人生のタスクとは、真剣に向き合わなくてはいけません。
しかし、人生のタスクから、目を背けている人も、少なくありません。
たとえば、自分のことが十分できていないのに、他人の批判ばかりしている、 「自分には甘く、他人には厳しいタイプ」 。
また、嫌われまいとするあまり、理想も目標も持たない、 「自分にも、他人にも、甘いタイプ」 など。
結果的に、 「何が重要なのか」 がわからないまま、人生を無駄に過ごしてしまうのではないでしょうか。
人生のタスクと向き合うために、必要なものは、やはり勇気 です。
自分が責任を負うべき、重要なことから、目を背けない勇気。
人生を改善するために、必要と思われる行動を、起こす勇気です。
もし、自分自身に勇気が身につけば、自信を失った他人を、勇気づけることもできます。
11.3つの重要なタスク 2014.04.17
アドラーは、人生のタスクを、対人関係を軸に、①仕事のタスク ②交友のタスク ③愛のタスク、の3つに分けて考えています。 ①②③は、簡単にできる順ということですが、現代においては、人それぞれかもしれません。
① 仕事のタスク (仕事に関わる人間関係の課題)
この世の中に、一人で完結する仕事など、あるのでしょうか。
必ず、誰かと関わらなければいけないものでしょう。
また、人生のうち、大半の時間は、仕事のために費やされます
だから、仕事のタスクが、最も多く発生すると考えられます。
しかし、仕事のタスクは、 成果という共通目標があるため、気が合わなくても、その時だけ、協力する こともできます。
就業時間が終われば、顔を合わせることもありませんし、他社へ転職してしまえば、まったく関係がなくなります。
だから、オンとオフで、気持ちをうまく切り替えれば、行き詰まる可能性は少なくなるはずです。
趣味や交友、スポーツなどの 「切り替えの場」 を、確保しておきたいものです。
② 交友のタスク (交友に関わる人間関係の課題)
友達が多いほどよいと、思っている人たちがいます。
しかし、表面的なつき合いに終始していることも、少なくありません。
また、反対に、限られた人に多くを求めるあまり、相手に逃げられ、孤独に陥る人もいます。
さらに、学校や職場など、 「決められた場」 がなければ、人間関係を築けない人もいます。
このような人は、この本を最後まで読んで、マスターすれば、悩みは解消するでしょう。
アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学 です。
自分自身が変われば、友人がいなくて困る、ということはなくなります。
それよりも 「自分自身がどうあるべきか」 に、関心が集中するのではないでしょうか。
③ 愛のタスク (愛に関わる人間関係の課題)
友人の間は、気にならなかった言動が、恋人になった途端、許せなくなることもあるでしょう。
しかし、アドラーは相手を束縛することを認めません。
また、本当の愛とは、劣等感を抱いたり、優越性を誇示する必要にも、駆られないものと述べています。
仲よくつきあいたいのであれば、互いを 「独立した対等の人格」 として、扱わなければいけません。
恋愛関係と夫婦関係には、 「別れる」 という選択肢があります。
しかし、親子関係は解消できないため、最も難しい関係と言えます。
たとえ、困難な関係になっても、向き合おうとすべきと、アドラーは述べていますが・・・
私は、無理をしない方がよいと、考えています。
12.自分に正直な人間になる 2014.04.21
健全な人であれば、 「正直に生きたい」 と考えているはずです。
正直に生きていないと、気持ちが悪いからです。
しかし、一方では、 「長い人生、嘘も避けられない」 ことを、理解しています。
時には、他人を救う嘘、楽しませる嘘などで、害のないものであれば、仕方がないと認識しています。
表現力の問題もありますが、発言と行動を、常に一致させることは困難です。
だから、多少の差があったとしても、大した問題ではありません。
しかし、 両者が大きくかけ離れていると、危険 ではないでしょうか。
自分でコントロールできない状態になっている可能性が高いからです。
嘘をつく相手は、他人と限りません。
実は、 最もよくないのが、自分に対して嘘をつくこと です。
自分に対して嘘をつき始めると、他人の嘘も見抜けなくなります。
自分という支点を動かすと、相手の位置を正確に測定できなくなるのと同じです。
自分に対して嘘をつく身近な例として、たとえば、Aさんの欠点が許せなくなったとします。
アドラーの目的論に従えば、それは、Aさんの欠点が許せないからではありません。
Aさんとの 「つきあいを避けたい」 という目的が、自分の中に先に存在していたからです。
その 目的にかなった欠点を、あとから見つけ出した に過ぎません。
つまり、 相手が変わった訳ではなく、自分の目的が変わった だけ。
責任は、相手ではなく自分にあることを、自覚すべきでしょう。
人はその気になれば、相手を神様にも悪魔にもできる、きわめて身勝手な存在です。
100%嘘のない人生などありえませんが、自分の嘘には気づくべきでしょう。
私たちは、都合のいい理由を見つけて、人生のタスクを回避しようとします。
この事態を指して、アドラーは 「人生の嘘」 と呼んだそうです。
人生の嘘とは、極めて重要な 「自分に対する嘘」 と言えます。
自分の嘘を自覚することが、人生を悪化させないための、大きなポイントになる のではないでしょうか。
13.手持ちのカードで 「勝てるゲーム」 を選択する 2014.04.24
5人でトランプをするとしましょう。
ただし、今回は、特別なルールが2つあります。
1つ目として、最下位になると、大変な罰ゲームをさせられます。
2つ目として、カードが配られた後、3つのゲーム ( 「ポーカー」 「ババ抜き」 「7並べ」 ) の中から、好きなものを選べます。
たとえば、配られたカードが、すべてエース (1) と、キング (13) だったとします。
もし、 「7並べ」 を選ぶとしたら、それは最初から負けを望んでいることになります。
「ポーカー」 を選ぶか、 「ババ抜き」 を選ぶかは、さらに内容を吟味してから、決定すべきでしょう。
ただし、何れを選んだとしても、最下位だけは免れるにちがいありません。
実は、人生も、このトランプゲームに似ています。
「どんな家庭に育ったのか」 「どんな容姿に生まれたのか」 「どんな学校を出たのか」 など。
これらの問題は、配られたカードと同じように、もう、変えることができません。
だから、反省すべき点はあるかもしれませんが、悩むのは、まったくの無駄と言えます。
それよりも、手持ちのカードを使って、どんなゲームを選ぶのか を考えるべきです。
アドラーは、これを 「使用の心理学」 と呼びました。
一方、フロイトの原因論によれば、配られたカードによって、結果が決まってしまいます。
だから、 「所有の心理学」 と呼ぶそうです。
まずは 「自分が持つカードは何か」 を、知ろうとすること。
ただし、性格検査や適性検査のような、万人向けのものを受けても、決して見つからないと思います。
頭の中だけで理屈が先行すると、自分探しの旅は失敗に終わる でしょう。
だから、経験を重ねながら進め、その中から、大きな公約数を見つけ出せば、それが 「自分の持つカード」 になります。
次に 「自分が持つカードの生かし方」 を考えてみましょう。
もし、 「年輩の男性客向け」 のキャラクターを備えているなら、できる限り 「年輩の男性」 が顧客の仕事を選ぶべきです。
仕事を変えられない場合は、現状での生かし方 を考えてみましょう。
もし、研究者タイプの人が営業職に就いたら、顧客に役立つデータなどで勝負されてはいかがでしょうか。
14.企業経営に生かす (会社を元気にする) 2014.04.30
日本の企業は疲弊している (疲れている)。
経営者にも、従業員にも、活力がなくなったと、以前より言われています。
その原因は不況にあると、結論づける話がありますが、本当にそうでしょうか。
過去に大きな成長を成し遂げた時代、日本は今ほど豊かではありませんでした。
日本人が疲弊している原因は、 「周囲の人との付き合い方」 にもある 、と考えています。
好かれたい、嫌われたくないという気持ちが、あまりに強すぎるのではないでしょうか。
人生にとって、もっと重要なことがあるはずなのに、身近な人間関係に振り回されています。
つまり、不毛なことに力を注いでいるから疲れている、のではないでしょうか。
あるメーカーの元社員の方と、話をしたことがあります。
その企業は、 「○○と言えば××社」 と代名詞になるほど、かつては勢いがありました。
しかし、その後は低迷し、今は見る影もありません。
その方の話では、社内の人間関係がとても複雑で、最悪と言える状態だったそうです。
各分野で活躍する人たちは、大きな目標に向かって、シンプルな生き方をしています。
だから、時には誰かに反感を持たれるようなことを言ったり、することがあります。
それは、力や地位を得たから傲慢になった、とは限りません。
逆に 「嫌われる勇気」 があったからこそ、今日がある のかもしれません。
仕事の最終目標は、 「自己実現」 と 「社会貢献」 にあります。
しかし、好かれたい、嫌われたくないが、高じると、企業内が社交場と化します。
毎日、身近な人間関係のために、多くの熱意が浪費され、やがて低迷と衰退 を招きます。
実は、このような社風を、経営者自らが作り出している可能性もある、のではないでしょうか。
企業が変わるためには、まずトップから変わるべきです。
自分自身が 「嫌われる勇気」 を持つ こと。
しかし、ただ嫌われるだけでは、意味もありません。
仕事を通じて、 「自己実現」 と 「社会貢献」 という目標を、自らに課すべきではないでしょうか。
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