名古屋の中小企業を応援します

会社設立、経理の合理化、節税対策、税務申告、株価計算、相続対策まで
資産家と企業経営に必要なサービスに対応しています。

 【取扱業種】 不動産業・サービス業・飲食業・小売業・卸売業・製造業・建設業
貿易業・調剤薬局・ベンチャー企業・弁護士・大学教授・宗教法人ほか

【個人】 月 3,300円~  【法人】 月 5,500円~ 

052-793-9421

〒463-0057 名古屋市守山区中新6-11
(千代田橋より車で北へ3分 → 地 図) 
★ 主要サービスエリア
守山区/千種区/名東区/北区/東区/尾張旭市/春日井市/瀬戸市

 

税理士法人 今井会計事務所

続 1 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-05-09

前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

 15.「他人の期待を満たす」 ような生き方をやめる      2014.05.09

 

 アドラーは、「他者に承認を求めてはいけない」 と述べています。
 「承認」とは 、「賛成」 「許可」 「承諾」 などの意味で、通常は使われます。
 しかし、この 「嫌われる勇気」 では、主人公の青年が、 「親に認められたかった」 と話しています。
 だから、 「他人に認められる」 さらには 「他人から評価を得る」 という意味で、使われているのではないでしょうか。
 

 

 それでは、なぜ 「他者から承認を求めてはいけない」 、言い換えると 「他人の評価を求めてはいけない」 のでしょうか。
  それは、 他人に対して評価を求めるようになると、他人の期待を満たそうとしてしまう からです。
  たとえば、親の期待を満たそうとして、親の意思を尊重するあまり、自立や結婚のチャンスを逃す人。
 周囲の期待に応えようとして、つまらない相談に時間を費やすあまり、自分のことが疎かになっている人など。 

 

 私たちは、他人の期待を満たすために、生きている訳ではありません。
  「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」 。
  これは、この本で紹介されているユダヤ教の教えです。
  他人の期待を満たす生き方は、けっきょく他人の人生を生きることになり、自分の人生を空虚なものにしてしまうのです。 

 

 人生の最終目標は、 「自己実現」 と 「社会貢献」 にあります。
  自己実現は、自分の長所を発揮するために、精一杯、自分らしく生きなければ、達成することができません。

 このように、 自分の生き方を満たして、初めて他者に貢献、つまり社会貢献できる ものです。
  これら2つの目標に近づくためにも、私たちは、必ず、自分の人生を生きなければならないのです。 

 

 それは、自分だけではなく、世界中のすべての人についても、言えることです。
  つまり、周囲の人たちも、皆、自分の人生を、一所懸命、生きるべきなのです。
 決して、私の期待を満たすために、生きてはいけません。

 だから、もし、 相手が私 (自分) の思い通りにならなかったとしても、むしろ健全な関係 と言ってよいのではないでしょうか。 

 

 もちろん、家庭や職場、社会において、決められたルールは、守らなければいけません。
 しかし、それ以外の部分では、相手の期待を満たそうなどと、あまり、考えないことです。

 まずは、自分自身の人生を、しっかり生きること。
 また、周囲の人たちにも、私 (自分) の期待など、満たさなくてもよいことを、それとなく伝えるべきでしょう。

 

 

16.自分の意思で行動する      2014.05.13

 

 アドラーは、 「賞罰教育」 について、警告を発しています。
 賞罰が過ぎると、誉めてくれる人がいなければ、適切な行動を取れなくなる。

 反対に、 罰する人がいなければ、不適切な行動を取る ようになる。
  このように、 「賞罰教育」 には、表裏のある人を育てる恐れがあるようです。 

 

 人は、他人に誉められたいとき、しばしば、他人の期待を満たそうとします。
 これは、適切な行動をとれば誉められる、という 「賞罰教育」 の流れだと、アドラーは指摘しています。
 以前もお話ししましたが、他人の期待を満たそうとすることはよくありません。

 他人の期待を満たすためではなく、 自分でよいと判断したことを、素直に実行すべき です。 

 

 仕事を任せる場合も、 「誉められたい」 という気持ちが強い人には、注意が必要です。
 他人に誉められたいばかりに、余分なことまで引き受けて、本来の仕事が疎かになっていることがあります。

 また、 誉められないと、気分が不安定になって、責任を放棄したり、誰も見ていない場所で、異なる行動を取る ことがあります。
  本人の成長のためにも、誉められなくてよいことを、伝えなければいけません。 

 

 自分が何かをするのは、 「人に誉められたいから」 「他人が見ているから」 「他人に罰せられるから」 ・・・
 行動の動機を、他人に求める人は、心の底で、自分のことを信用していない と思います。
 他人に振り回される自分を、もう一人の醒めた自分が、自覚しているからです。
 さらに、わかりながらやめられない自分の弱さに、嫌気が差しているかもしれません。 

 

 自分を信じられない人は、けっきょく他人のことも信じられません。
 なぜなら、他人も自分と同じような人間に映ってしまうからです。
 心の底では、周囲の人を信用していないのに、その信用していない人に対して評価を求める、という矛盾を抱えます。

 このような 悪循環を、自分の意思で断ち切ることが、自信への第一歩 につながるのではないでしょうか。 

 

 自分も他人も信用できない、その根本原因は、自分の人生と、他人の人生の区分が、できていない点にあります。
 そのために採るべき方法は、「課題の分離」 と呼ばれます。

 私は、 アドラー心理学において、最も重要なのが、この 「課題の分離」 と考えています。
  「課題の分離」 については、次回以降に詳しくお話しします。

 

 

17.「自分の課題」 と 「他人の課題」 を、分離する      2014.05.15

 

  対人関係のトラブルの多くは、次の2つのことが原因で発生します。
  ① 自分が、他人の課題に土足で踏み込むこと
  ② 他人に、自分の課題に土足で踏み込まれること

  だから、 「これは誰の問題なのか?」 という視点から、 「自分の課題」 と 「他人の課題」 を、分離させる 必要があります。 

 

 それでは、どうすれば 「誰の課題か」 を、見分けることができるのでしょうか。
 アドラー心理学では、きわめてシンプルな方法を用います。 「その選択によって、もたらされる最終結果を、引き受けるのは誰なのか?」 について、考えてみる ことです。
 最終的に引き受けるのが、自分であれば 「自分の課題」 、他人であれば 「他人の課題」 、お互いであれば 「お互いの課題」 です。 

 

 これにより「自分の課題」 と判明した場合は、全責任を負って、取り組む 必要があります。
 もちろん、課題によって、重要さは異なりますが、いずれも責任は自分にあるということです。
 また、ここで、他人の期待を満たそうとしてはいけません。
 他人から過度な干渉を受けたり、他人に過大な援助を受けることも、避けなければいけません。 

 

 逆に、 「他人の課題」 と判明した場合は、自分の課題ではないことを、自覚 しなければいけません。
 相手の状況に介入したり、過度に注目することは、一切、やめることです。
 ただし、 「もし、困ったときにはいつでも援助する」 というメッセージを送っておきましょう。
  すると相手は、自分の課題として認識し、何をすべきかを、考えざるを得なくなるからです。 

 

 それぞれの人に与えられた課題は、その人が成長するためにあるもの です。
 その課題に対して、主体性を持って取り組めば、自身がレベルアップするため、その後は、同じような課題で悩むことが少なくなります。
 なぜなら、事前に察知して、回避するようになるからです。
 また、事前に準備して、そのような課題が起きないような状況を作り出すことも可能でしょう。 

 

 だから、まずは、 「自分の課題」 と 「他人の課題」 を区別すること。
 その結果を受けて、「他人の課題」 を、自分から切り離し、 「自分の課題」 に全力で取り組む。
 この作業を行うだけで、人生は変わり始めると思います。
 他人の課題まで抱え込む、重苦しい人生から解放され、きわめてシンプルな人生が開けてくることでしょう。

 

 

18. 「子供を信じる勇気」 があるか      2014.05.18

 

 「課題の分離」 を、実現させるにあたり、最も難しいのが、親子関係ではないでしょうか。  世の中には、 「あなたのため」 という言葉を、ひんぱんに使う親も少なくありません。
  しかし、本当は、 「あなたのため」 ではなく 「わたしのため」 です。
 その欺瞞 (ぎまん ・・・ 嘘という意味) を察知するから、子供は反発すると、この本には書かれています。

 

  「課題の分離」 とは、放置するのではなく、相手の行動を知った上で、見守ることです。
 たとえば、勉強は本人の課題なので、 「勉強したくなったら、援助する」 と伝えておけばよいそうです。

 他人から強制された行動は、ほとんど身に付かない ものです。
 あくまで、自主性を重んじるということでしょう。

 

 「課題の分離」 を実現させるためには、相手を信じる 必要があります。
 もし、相手を信じることができなければ、 「課題の分離」 を実行することができません。
 たとえば、子供を信じていれば、子供の課題を切り離して、黙って見守ることができます。
 反対に、もし、子供の課題にまで口出しするとすれば、それは、子供を信じていない証拠になります。

 

 親の干渉に対して、子供が反発するのは、わがままと限りません。
 自分を信じてくれない、親に対する怒り の表れかもしれません。
 あるいは、成長したいという意欲の妨げに対する、怒りの表れかもしれません。
  何れにしても、親の干渉に対して反発する子供は、むしろ健全と言えるのではないでしょうか。

 

 反対に、 親の干渉を受け入れ続ける子供の方が、はるかに心配 です。
 子供は、いつまでも親の保護下にある訳ではありません。
 当たり前のことですが、親が亡くなった後も、自分の力で生きていかなければなりません。
 親とは異なる能力を持ち、異なる時代、環境を生き抜かなければならないのに、親と同じ考え方では通用しません。

 

 人生経験豊かな親から見て、子供が未熟なのは明らかです。
 子供の課題に口出ししてしまうのは、親として当然かもしれません。
 しかし、そこで、子供を信じて 「課題の分離」 を、実行しなければ、子供はいつまで経っても自立できません。

 そこに、 必要なのは、 「子供を信じる勇気」 ではないでしょうか。

 

 

19.相手が、自分をどう思うかは、 「相手の課題」      2014.05.21

 

 たとえば、同僚のAさんに、親切にしてあげたとします。
 忙しいのに仕事を手伝ってあげたとか、長時間、相談に乗ってあげたなど。 
 ところが、Aさんは感謝しないばかりか、手の平を返したような態度に出たとします。
 その後は、無視するような態度を取ったり、馬鹿にするような態度を取ったり。

 

 このような場合、 「課題の分離」 を、どのように進めるべきなのでしょうか。
  ここで、 「Aさんの取った態度によって、もたらされる結果を、最終的に誰が引き受けるのか?」 について、考えてみましょう。
  Aさんは、やがて誰にも相手にされなくなる可能性があります。

 だから、Aさんが示す態度がどうあるべきかは、Aさんの課題 であって、自分の課題ではありません。

 

 それでは、自分の課題はどこにあるのでしょうか。
 それは 「Aさんの態度や、Aさんという人間に対して、自分がどうあるべきか」 にあります。
  具体的には 「今回の件について、どのような態度で臨むのか」 「今後はどのように関わっていくべきか」 にあります。

 その 最終結果は、自分が引き受けなければならないので、よく考えて、善処すべき ではないでしょうか。

 

 省みる点として、Aさんに対する親切が、度を越したものであれば、Aさんの課題への介入だった可能性が挙げられます。
  また、 「Aさんから感謝されたい」 という気持ちがあるとすれば、それもAさんの課題への介入になります。
 Aさんが自分に対して感謝するかどうかは、もともとAさんの課題ですから。

 このように 「課題の分離」 を進めれば、対人関係における悩むは、激減する のではないでしょうか。

 

 この本には、次のように書かれています。
 自らの生について、自分にできることは、 「自分の信じる最善の道を選ぶこと」 、それだけだ。                         
  その選択について、他者がどんな評価を下すかは、「他者の課題」です。
 自分の意思ではどうにもならないことなので、自分から切り離すべきでしょう。

 

 このようなことまで、コントロールしようとすると、人生は重たいものになります。
 だから、 「他人が自分をどう思うかは、他人の自由」 と割り切ることです。
 すると、 「自分が他人をどう思うかも、自分の自由」 であることに、確信が持てるようになります。

 つまり、 他人の自由を認めることによって、自分の自由も手に入れることができる のです。

 

 

20.不機嫌な人は放置する      2014.05.23

 

 不機嫌な顔をすれば、必ず誰かが気をつかってくれる。
 このような習慣を持つ人たちは、周囲に甘えています。

 感情の問題は、自分自身で解決すべき課題 だからです。
 それにもかかわらず、他人の手をわずらわせるのは、 「課題の分離」 ができていないからでしょう。

 

 また、反対に、不機嫌な人を見ると、動揺する人たちがいます。
 「自分が原因ではないか」 とか、 「自分が機嫌を取らなくては」 と、ついつい考えてしまう人たちのことです。

 しかし、相手の感情は、相手自身が解決すべき課題 なので、気に病む必要など一切ありません。
  それでも放置できないのは、 「課題の分離」 ができていないからでしょう。

 

 これら 「課題の分離」 ができていない人同士で、親密な人間関係を築く ことがあります。
 自分の課題を放棄する人と、他人の課題に関わりたがる人。
 利用することを好む人と、利用されることを好む人。
 行き過ぎれば、加害者と被害者など。

 

 しかし、時間の経過とともに、この力関係が逆転することもあります。
 感情問題を自分で解決できない人は、機嫌を取ってくれる相手を必要とします。
 それが習慣化すると、相手がいなければ、感情をコントロールできなくなります。

 やがて、 機嫌を取らされていた側が、逆に主導権を握ってしまう こともあります。

 

 裏を返せば、 立場を越えて、必要以上に世話を焼いてくる相手がいたら、警戒すべきでしょう。
 褒めちぎったり、ヨイショしてくる相手も、同じです。 その中には、依存させて、支配することが目的で、近づいてくる者も、少なからずいるからです。
 他人に操作されたくなければ、自分の機嫌は、自分で取らなくてはいけません。 

 

 人間関係は、両者の合意によって成立します。
 何れか一方が、 「課題の分離」 を進めると、前述のような人間関係は成立しなくなります。
  自分さえしっかりしていれば、実現可能ですから、難しく考える必要はありません。
 せめて、自分だけでも、 「課題の分離」 を、急げばよいのです。

 

 

21.企業経営に生かす (経営方針の立て方)      2014.05.25

 

  今回は、アドラー心理学を実践する人を 「アドラー的な人」 、そうでない人を 「非アドラー的な人」 と呼んで、話を進めます。
  アドラー的な人と、非アドラー的な人では、自らが認識する空間が、異なる と感じています。
 この違いが、経営の進め方にも、少なからず影響を与えているのではないでしょうか。
 特に重要なのが、 「経営方針の立て方」 だと、考えられます。

 

 アドラー的な人が認識する空間には、まず、宇宙があり、地球があり、社会があります。
 その中に、それぞれの人が存在し、それぞれの人生を歩んでいます。
 自分はその中の一員として、宇宙なり、地球なり、社会のために貢献することが、最終目標の1つになります。 

 その結果、自分は 「社会とダイレクトにつながっている」 という意識を持っているのではないでしょうか。 

 

 一方、非アドラー的な人が認識する空間には、自分と周囲の人の存在が、大きな位置を占めています。
 そこで、自分と周囲の人との関係に、意識が集中します。
 社会は、周囲の人の延長上 (外側) にあると想像しますが、実際の社会は、周囲の人や自分とは関係なく存在しています。

 つまり、 「社会のことが、ほとんど見えていない」 のではないでしょうか。 

 

 企業にとって、 「何を売るか」 「どんなサービスを提供するか」 「いかなる人材を確保するか」 。
 これらは、企業の命運をにぎる、非常に重要な問題です。
 アドラー的な人は、社会をダイレクトに意識しますので、まずは社会のルールや動向を読んで、方針を決定しようとします。

 社会は大きな市場ですから、 社会の需要に従うことが、社会貢献につながり、結果として、成功の確率が高まる と考えるからです。 

 

 一方、非アドラー的な人は、周囲の人を見て、判断する傾向が見られます。
 同業者、従業員、家族、友人、知人などに認められることを、重要視しますが、これは明らかに間違いです。
 また、自分の願望や思いつきで動く傾向もありますが、これも間違いです。

 何れにしても、 大きな市場である社会が見えていない、見ようともしないので、成功は偶然に頼る以外ありません。 

 

 非アドラー的な人が仕事を始めると、親族や友人、知人をあてにします。
 それが原因で、一定期間を過ぎると、客足が途絶え、業績が低迷します。
  ビジネスで関わる顧客、従業員、取引先の大半は、見ず知らずの人たちです。

 だから、 「まったく関係のない人たち (社会) を相手に、どうすべきなのか」 の観点から、構築すべき ではないでしょうか。 

 

 

 22.「見返り」 に縛られてはいけない      2014.05.27

 

  他人に何かをしてもらったら、相手に何かを返さければいけない。
 そうしないと、相手の好意を踏みにじることになる。
  このような発想は、日本人にとって、ごく当たり前と言えるのではないでしょうか。

 ところが、アドラーは、これを 「見返りに縛られた発想なのでよくない」 と、述べています。 

 

 「見返り」 については、求めてもいけないし、縛られてもいけない。
  まずは、 「見返りを求めること」 について、これは以前、ご紹介した 「賞罰教育」 と同じ理由かもしれません。

 つまり、見返りがなければ、よいことをしなくなる。
 企業も成果主義を徹底すると、従業員は評価につながることしかしなくなります。 

 

 次に 「見返りに縛られること」 について、これは相手によります。
 もし、相手が 「見返りを求める」 者なら、十分に注意することです。

 「見返りに縛られる」 者を、支配するために、親切顔をして近づいてくる者もいる からです。
 さんざん利用されたあげく、お金を奪われ、捨てられた人も、何人か知っています。 

 

 反対に、もし、相手が本心から好意でしてくれたことであれば、それは見返りを期待したものではありません。
 人は、心の問題に対しては、心で応えるべきです。
 ここで、相手に何かを返さなければならないと考えるのは、商取引と同じ発想。
 せっかくの相手の好意を、自らの心の貧しさによって、価値を下げてしまうことになります。 

 

 それでは、このような好意を受けた場合、自分はどうすればよいのでしょうか。
 それは、自分自身が心豊かな人間になること ではないでしょうか。
 見返りを求めない人たちは、感謝されたいのではなく、他人も心豊かに生きて欲しいと考えています。
 そのためには、まず 「見返りに縛られる」 発想から、抜け出さなくてはいけません。 

 

 次に目指すのは、自分もその人と同じように、見返りを期待することなく、誰かに何かをしてあげられるようになることです。
 ただし、無理をせず、できる範囲内で、相手の課題に踏み込まず、もし、相手が期待に沿えなくても、決して恨むことなく。

  私は、上の世代から受けた恩は、本人に返すことなく、まったく関係のない、下の世代へ返す ことにしています。
 そうすることによって、世代間がつながり、社会全体として、連帯感が増すのではないかと考えているからです。

 

 

23.「自分の道」 は、自分で決める      2014.05.29

 

  「課題の分離」 の有無によって、人は、2つの生き方のうち、何れかを選択することができます。
 1つ目は、 「自由ではあるが、厳しい生き方」 。

 この生き方を選ぶ人は、 「課題の分離」 ができているため、自分が進むべき道は、必ず、自分で決めます。
 それによって、 「悩み」 と 「自由」 を、同時に、手に入れることができます。

 

 もし、失敗をしても、他人のせいにはできないので、 「悩み」 は、さらに増えていきます。
 この悩みの正体とは、 「自分の課題」 ではないでしょうか。
 だから、苦しみながらも、自分の力で、これらの悩み (課題) を、乗り越えるうちに、やがて、人生が開けてきます。

 実は、このプロセスを経る (自分の課題に真剣に取り組む) ことによって、人として、成長することができる からです。 

 

 2つ目は、 「不自由ではあるが、楽な生き方」 。
 この生き方を選ぶ人は、 「課題の分離」 ができていないため、自分の進むべき道を、周囲の人に決めてもらいます。
 ただし、最終的に自ら決断して、周囲が望む道へ進んだ人は、1つ目の生き方に準じます。
  そうではなく、 「周囲の人の期待を満たすこと」 を中心に、自分の道を選択した人が、この2つ目の生き方に該当します。 

 

 すると、もし、失敗をしても、周囲のせいにするため、自分の責任として、自覚することができません。
 さらに、自分の力で、困難を乗り越える習慣も身に付かないので、困難を避ける傾向が高まります。

 その結果、人としての成長が止まり、反対に退行していく のではないでしょうか。
 退行とは、 「子供のような未発達な状態に戻っていく」 という意味です。 

 

 退行が進むと、自分への無力感が高まるため、さらに保護者を求め、周囲に嫌われまいとします。
 できないことまで 「できる」 と約束したり、取れない責任まで引き受けるようになります。
 ここまでくると、 「自分は一体、誰なのか」 「一体、誰の人生なのか」 が、わからない状態になっているかもしれません。

  やがて、 嘘がばれ、信用を失い、自らの人生を、さらに苦しいもの にしてしまいます。 

 

  「周囲の人に嫌われまい」 「周囲の人の期待を満たさなければならない」 。
 このような思いが強いと、いつしか、自分自身を悪い方向へ追い込んでしまいます。
 そうならないためにも、 「課題の分離」 を進め、自分の課題に対しては、自分で責任を負うことを、徹底しなければいけません。

 「自分が、自分の人生を、好きに生きてはいけないという理由は、どこにもない」 と、この本にも、書かれています。

 

 

4.「本能」 「感情」 「理性」 を使いこなす      2014.06.02

 

  野生に生きる動物たちは、 「本能」 に従って、生きています。
 外敵から身を守る、獲物をとらえる、子孫を残す、これらすべてが生死に関わることです。

 だから、 本能をとぎすませ、それに忠実に従うのが、正しい生き方 と言えます。
 
正しいという以前に、他に、選択の余地がないのかもしれませんが。

 

 ところが、人間には、高等な頭脳が備わっています。
 おかげで、「本能」 のほかに、 「感情」 や 「理性」 とも、うまく付き合って いかなければいけません。
 もし、人間として、幸せに生きたければ、これら3つをコントロールする必要があります。
  人生に行き詰まりを感じたら、何れかに偏っていないか、チェックされるとよいでしょう。 

 

 本能に話を戻すと、人間にとって 「3大欲求」 と呼ばれるものには、食欲、睡眠欲、性欲があります。
 もし、これらの欲求を野放しにしたら、どのような悪影響が考えられるでしょうか。
 健康を害したり、怠惰な生活を送ったり、犯罪を犯してしまうこともあるでしょう。

 だから、 人間は、本能に流されるような生き方を避けるため、細心の注意 を払わなければいけません。 

 

 さて、アドラーは、 他人に嫌われたくないという思いは、人間にとって、本能的、衝動的な欲望 だ。
 本能的、衝動的な欲望のおもむくままに生きるのは、坂道を転がる石のように生きるのと同じ。         
  このような生き方は、欲望や衝動の奴隷であって、自由な生き方ではない。   
  本当の自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度だと、述べています。 

 

 つまり、「他人に嫌われたくない」 という思いは、食欲、睡眠欲、性欲と、本質的に同じ ものだということです。
 となると、その思いに強く囚われている人は、本能に流されて、生きていることになります。
  おかげで 「理性」 の働きが鈍く、善悪の判断に疎いかもしれません。
 また 「感情」 の働きが鈍く、関係のない人に対して、冷淡かもしれません。 

 

 本能に流されなくなったとき、人は自由な感覚を取り戻し、自分に対する無力さから、解放される のではないでしょうか。
  人生にとって、主人は、あくまで自分であり、 「本能」 「感情」 「理性」 は、手足と同じ道具です。
 人生を豊かにするためには、これらの道具を、うまく働かせたり、たまには休憩させなければいけません。
 私は、難しく考えずに、バランスの維持だけを心掛けています。

 

 

25.「嫌われる勇気」 と 「好かれない知恵」      2014.06.04

 

  アドラー心理学によれば、すべての悩みは、対人関係から発生します。
 だから、悩みを抱える人の多くが、 「対人関係からの自由」 を求めています。
 時には、1人になって、ほっとしたいのではないでしょうか。
 しかし、人間社会に生きる以上、対人関係から逃れることはできません。

 

 この現実の中で、自由を実現させる方法は、 「1つしかない」 とアドラーは述べています。
  それは、 「他人に嫌われる勇気を持つこと」 です。
 対人関係の中にいながら、 「誰かから嫌われている」 状況を、ありのままに受け入れ、一切、気にしないことです。

  逆の言い方をすれば、 嫌われる勇気さえ備われば、どんな対人環境にいようと、自由に生きられる ことになります。 

 

 誤解していただきたくないのは、 「進んで嫌われなさい」 という意味ではない、ということです。
 人間とは、様々な個性があり、考え方や感じ方も、人それぞれです。

 だから、 いくら自分が努力しても、それとは関係なく、自分のことを嫌いな人は、必ず存在 します。
 そのような人にまで、 「いちいち好かれようとしない」 ことです。 

 

 また、故意に嫌いな態度を示す者もいます。
 以前、お話しした目的論によれば、集団の中で自分の身を守るために、特定の人をイジメの対象にするケースもあります。

 また、 他人を操作する目的で、急に不機嫌になったり、別人のように優しくなる者 もいます。
  このような人たちから受ける被害を、最小限に抑えるためにも、 「嫌われる勇気」 は必要です。 

 

 ところで、 「好き」 とか、 「嫌い」 という感情を、表明しても、許されるのは、一体、何歳まででしょうか。
 社会人が、人間関係において、 「好き嫌い」 を持ち出せば、それは未熟さの証 になります。 
 だから、本来は 「高校生くらいまで」 、大目に見ても 「20代前半まで」 と、考えられます。
 これ以上の年齢の人から、嫌いと言われても、それは相手の未熟さによるものかもしれませんので、気にする必要はありません。 

 

 逆に、最近は、嫌われるより、好かれる方が、やっかいなのではないでしょうか。
 ストーカー被害などは、極端な例ですが、日常的にも、節度のない相手は、必要以上に交流を求めてくるものです。

 幸せに生きていくためには、 「嫌われる勇気」 も必要ですが、実は 「好かれない知恵」 も必要 です。
 むやみやたらと、好かれようとせず、継続性のある、落ち着いた、 「ふつうの大人の関係」 を、構築したいものです。

 

 

6.「他人に求める」 から 「自分に求める」 への転換      2014.06.06

 

  他人が、自分のことを、どう思っているのか。
  このようなことが気になり始めたら、その時点で 「弱者の立場」 を、選択 したことになります。
 なぜ、 「弱者」 なのか。
 その理由は、 「他人に(評価を)求めている」 点にあります。

 

 人間社会は、 「他人に与える者が強者」 で、 「他人に求める者が弱者」。
 これは、太古の昔から決まっていることです。                          
 お互いに求め合う場合でも、より多くを求める方が 「弱者」 の立場に立たされます。
 弱い生き方を選択したくなければ、できる限り、他人には求めないことです。 

 

 ただし、 「求めない」 だけでは、豊かな人生は、実現しません。
 そこで 「求める人」 から、 「求めない人」 を飛び越え、一気に 「与える人」 を目指す べきでしょう。
 たとえば、給料以上の仕事をする、価格以上のサービスを提供する、困っている人がいたら、進んで助ける。
  ここで見返りを期待すると、 「求める人」 に逆戻りするので、絶対に見返りを期待しないことです。 

 

 この生き方を実践するためには、 「他人に与えても、自分の生活が維持できるレベル」 まで、能力を高める必要があります。
  「他人に与える」 ためには、自分の能力を高めなければならない、つまり 「自分に求める」 必要があるということです。

 他人に求める → 他人に求めない → 他人に与える → 自分に求める。
 この発想の転換により、能力が高まると同時に、精神的にも強くなり、人生がよい方向へ進み始めます。 

 

 トラブルが起きた場合、 「求める人」 は、自力で解決しようとしないため、適当な援助者がいなければ、行き詰まります。
 しかし、 「与える人」 は、 「与える」 ことを中断して、自分のことに専念すればよいだけのことです。
  また、 「求める人」 は、相手に裏切られると、ダメージが大きいものですが、 「与える人」 は、相手に与えるのをやめるだけです。

 つまり、 「求める」 生き方は、相手に主導権がありますが、 「与える」 生き方は、自分に主導権があります。 

 

 お金やモノをベースに、目先の損得だけを考えると、 「与えるのは損」 と、思われるかもしれません。
 しかし、目に見えない 「能力」 や 「精神」 などをベースに、最終的な人生の豊かさを考えると、 「与えるのは得」 になります。

  人生とは、実は 「他人に求める者は貧しく」 なり、 「他人に与える者は豊か」 になるもの かもしれません。
 私の場合、誰かに与えていると、忘れたころに、まったく違う誰かから、もっと大きなものを、与えられることがあります。

 

 

27. 「貢献する人」 として、うまく生きるコツ      2014.06.10

 

  今回は、 「与える」 を 「貢献する」 と、言い換えましょう。
 「与える人」 、つまり 「貢献する人」 として生きる上でも、やはりコツがあります。

 1点目は、 「課題の分離」 を、徹底 すること。
 いくら 「貢献する」 と言っても、 「相手の課題」 まで、背負わないこと。

 

 2点目は、 「他人に求める人」 との関わり方に注意すること。
 他人に求める人の多くは、 「課題の分離」 ができていないため、中には、こちらの課題にまで、土足で踏み込んでくる 人もいます。
 自分の存在価値を確認したり、自分の居場所を確保することが、目的の人もいれば・・・
  悪質な例としては、 「世話を焼くことによって、相手を依存させ、最終的に支配する」 ことが目的の人までいます。 

 

 また、反対に、本人の課題まで、こちらに押し付けてくる 人もいます。
  自己愛の強い人などは、自分ですべきことを、他人にさせ、しかも、その結果に、不満ばかり言っています。
 このような人たちと関わると、人生を台無しにしてしまいますので、振り向くことなく、遠ざかることです。
  人間関係の健全性については、お互いに 「課題の分離」 ができているかどうかが、大きな鍵を握るのではないでしょうか。 

 

 3点目は、他人に貢献することで、満足せず、必ず 「成長」 を目指す こと。
 成長とは、 「よい方向へ変わる」 ことではないでしょうか。
 その中で、 「能力の向上」 は、大きな位置を占めます。
 能力を向上させれば、より多くの人に、より幅広く、貢献することができます。 

 

 また、トラブルの回避にも役立ちます。
 たとえば、車なら、私は、スポーツタイプのものを、好みます。
 走行性能 (走る・曲がる・止まる) が優れているおかげで、交通事故を回避できる確率が高いからです。

 もし、相手がミスを犯しても、こちらの能力 (運転技術や走行性能) が高ければ、事故を防ぐ ことができます。 

 

 常に成長を目指すとすれば、1つの 「能力」 だけでは足りません。
 たとえば、素晴らしいアイデアを持っていたら、それを、実際に役立てる能力を身につけなければいけません。
 「自分に求められる能力は何か」 を、冷静に見極めながら、多面的に高めていく必要があります。 

 そのためには、 「他人に求める」 のではなく、 「自分に求める」 姿勢を、習慣としたい ものです。

 

 

28.企業経営に生かす (人の成長)      2014.06.11

 

  「企業の成長」 には、 「人の成長」 が、欠かせません。
 なぜなら、 いくら素晴らしい戦略やシステムを導入しても、それを実践するのが人だから です。
 逆に、 「人の成長」 さえ、うまくいけば、経営者が悩まなくても、企業は勝手に成長するものです。
 だから、企業にとって、 「人の成長」 は、大きな課題です。

 

 私は、資格業のため、仕事をすべて従業員任せにすることが、法律上、禁じられています。
 おかげで、本業の仕事を数多く抱えており、経営に専念することができません。
  従業員に対しても、仕事面では交流を密にしますが、 「個人的な成長」 は、本人任せにしています。

 従いまして、 「自主的に成長する人」 しか、雇わない ことにしています。 

 

 これまで、多くの人と、仕事を通じて関わりましたが、 成長には個人差 があるようです。
  中には、学生時代まで優秀でしたが、20代前半で成長が止まったような人もいます。
  また、反対に、学校の成績にかかわらず、60歳を過ぎても、めざましい成長を続ける人もいます。
 この違いは、一体、どこから生まれるものでしょうか。 

 

 それは、成長のために必要な  「勉強」 に対する認識が、異なるからではないでしょうか。
 学生時代の 「受験勉強」 と、社会人以後の 「仕事のためにする勉強」 の違いは ・・・
 「受験勉強」 は、① 実際には役立たない ② 周囲から押し付けられる ③ テーマは目の前にある
 「仕事のためにする勉強」 は、① 実際に役立つ ② 自主的に取り組む ③ テーマは自分で見つける 

 

 就職直後までは、周囲から押し付けられるため、誰もが、とりあえず勉強をします。
 ところが、その後は、成長を目指して、自主的に取り組まないと、勉強をしなくなるものです。
  成長を続けるためには、2つの勉強の違いを、はっきりと認識しておく必要があります。

 「他人から押し付けられる」 「役立たない」 勉強から、「自主的に」 「役立つ」 勉強へ 、変わらなければいけません。 

 

 2つの勉強の違いが、理解できないと、社会人になった後も、必要のない分野の勉強をするケースがあります。
 学生なら誉められますが、社会人としては 「趣味」 、つまり楽しんでいるのと同じ、と見なされます。

 アドラー心理学には、人が自主的に成長するために、欠かせない考え方が、体系的に確立 されています。
 これまでご紹介した 「目的論」 「嫌われる勇気」 「課題の分離」 は、何れも、役立つのではないでしょうか。

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

お問合せ・ご相談はこちら

営業時間
平日 9:00~17:00

ご希望やお悩みなどございましたら、
お電話またはメールにて、お気軽にご相談ください。

お電話でのお問合せはこちら

052-793-9421

会社設立、経理の合理化、節税対策、税務申告、株価計算、相続対策まで
資産家と企業経営に必要なサービスに対応しています。

【取扱業種】 不動産業・サービス業・飲食業・小売業・卸売業・製造業・建設業
貿易業・調剤薬局・ベンチャー企業・弁護士・大学教授・宗教法人ほか

【個人】 月 3,300円~  【法人】 月 5,500円~

主要サービスエリア
守山区/千種区/名東区/北区/東区/尾張旭市/春日井市/瀬戸市

お気軽にお問合せください

お電話でのお問合せ

052-793-9421

<営業時間>平日 9:00~17:00

代表者のプロフィール

税理士法人 今井会計事務所
代表社員 税理士 今井 睦明


1960年生まれ 名古屋市出身 1989〜1993年 税理士試験 法人税法、消費税法、事業税、簿記論、財務諸表論、全5科目合格
 
1994年税理士登録 日本税理士会連合会 登録番号 税理士法人3430 税理士78397 名古屋税理士会名古屋北支部所属

★主要サービスエリア

名古屋市 守山区・千種区・名東区・北区・東区・尾張旭市・春日井市・瀬戸市

税理士法人 今井会計事務所

住所

〒463-0057
愛知県名古屋市守山区中新6-11

アクセス

千代田橋より車で北へ3分

営業時間

平日 9:00~17:00
★ 休日・時間外対応可能
(事前に予約が必要です)

ご連絡先

本社

〒463−0057
愛知県名古屋市守山区中新6-11

052-793-9421
052-793-7876
名古屋北事務所

〒462−0041
愛知県名古屋市北区浪打町1-23
金城ハイツ201

052-914-6781
052-915-3362