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税理士法人 今井会計事務所

続 7 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-11-23

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102.「心の自由」 は 「主体性」 で決まる      2014.11.23

 

 「行動の自由」 と 「発言の自由」 は、法律やルールという形で、共同体から、制限を受けます。
 一方、 「思想の自由」 を、制限しているのは、自分自身です。
 人間は、思想によって、生き方、さらには人生さえも、変わるため、制限があって、当たり前です。

 だから、 ポイントは、 「制限の有無」 ではなく 「制限の内容」 にある のではないでしょうか。

 

 私が、考える 「思想に関する制限の内容」 とは ・・・
  ① 自ら主体性を持って 「目的」 を決める
 ② 目的に沿って、自分の意思で、ライフスタイルを変える
  ③ 他者の課題を切り捨て、目的に沿って、自分の意思で、自分の課題を決め、これに全力で取り組む
 

 

 思想に関して、 「制限の内容」 を検討する場合も、まずは、 「① 目的を決定」 すべきではないでしょうか。
 この本に出てきた 「目的論」 によれば、人間は無意識のうちに、目的を決め、それに沿って生きている、という話でした。

 しかし、 今後は、はっきりと意識しながら、自分で目的を決めましょう。
 たとえば、 「幸福な生き方や人生」 が、目的だとしたら、この目的に沿って、② 以下へ進みます。 

 

 次に、 「② ライフスタイルの変更」。
 アドラー心理学では、性格や気質のことを、ライフスタイルといいます。

 若い頃は、両親の影響下、育った環境に適合するように、初期のライフスタイルを、私たちは選択 しています。
 しかし、多くの人は、その後、人間関係も拡がり、異なる環境で、生活するようになります。 

 

 ここで、ライフスタイルも、自分で意識しながら、自分の意思で、変更していかなければいけません。
 ① の目的を、実現させるためには、どのような、ライフスタイルを、選択すべきなのか。
 さらに、「③ 課題の分離と選択」。

 他人の課題を切り捨て、 ① の目的の実現を目指して、自分の課題を選択し、これに全力で取り組まなければいけません。 

 

 この ① 〜 ③ に、一貫するのは、人生に対する主体性です。
 人間の中には、 「他人に嫌われたくない」 など、原始的な 「本能」 が根強く、残っています。
 一方では、人間であるが故の 「理性」 も備えています。

 ここでいう主体性とは、  「理性」 による 「本能」 のコントロール と、私は考えています。

 

 

103.セルフ・コントロールの重要性      2014.11.24 

 

 ハンドルが思うように動かない、ブレーキが効かない、勝手に加速する ・・・ など。
 もし、このような事態が、運転中に発生したら、ドライバーは、 「自由自在に運転している」 と、感じられるでしょうか。
 馬鹿げた質問ですが、間違いなく、 「不自由」 と、感じることでしょう。

 「心の自由」 の問題も、実は、同じ ではないでしょうか。

 

 原因論的に考えれば、心が不自由を感じるとき、他者や環境に、原因を求めがちです。
 しかし、アドラー心理学の実践者は、目的論的に考えます。
 つまり、まず疑問を向けるべきは、自分自身です。

  環境と適合すべき自分自身に、原因がある のではないかと、私は考えます。 

 

 人間が、 不自由を感じるのは、実は、セルフ・コントロールが、うまくいっていない ときではないでしょうか。
 自分の中には、複数の自分がいますが、その中で、一体、誰が主人なのか。
 主人である自分が、その他の自分を、正しくコントロールできているのか。
 この部分が、正常に機能しなければ、全員が乗った車、つまり、人生そのものが、間違った方向へ進みます。
 

 

 自分を構成するメンバーは、少なくとも4人いると、考えています。
 「本能」 「感情」 「理性」 と、 「3者をコントロールする自分」。
 車の運転に例えるならば、 「3者をコントロールする自分」 は、ドライバーに、該当します。
 「本能」 「感情」 「理性」 は、それぞれ、ハンドル、ブレーキ、アクセルなどで、あったりします。
 

 

 セルフ・コントロールの目標として、私は、 「3者のバランスが維持された状態」 を、目安にしています。
 この目標が、絶対的に正しい、とは考えていません。
 行き着いた理由としては、避けるべき 「何れかに偏った状態」 が、自分自身で、認識しやすいこと。
 これまでの経験から、バランスが取れた状態にあるとき、望ましく人生が展開したこと ・・・ などが、挙げられます。
 

 

 アドラー心理学の 「目的論」 によれば、自分に関することは、ほとんど、自分の責任になります。
 しかし、おかげで、自分の人生に対して、主体性を取り戻すことができます。
 その結果、主人である自分が、その他の自分を客観視して、コントロールを目指せるようになります。

 人間は、 セルフ・コントロール (自分自身のコントロール) が、うまくいっているとき、 「心の自由」 を感じられる のではないでしょうか。

 

 

04.「自由」 と 「制限」 の関係      2014.11.29 

 

 「思想の自由」 つまり 「心の自由」 が、 「行動の自由」 や 「発言の自由」 と、大きく違う点。
 それは、唯一、自分で 100% 決定できる点です。

 だから、 「心の自由」 を実現させることは、生涯、取り組むべき、大きな 「自分の課題」 と言えます。
 その有効な方法として、セルフ・コントロールを、ご紹介しました。

 

 セルフ・コントロールによって、 「心の自由」 を実現させると、その部分で大きく満たされます。
 すると、 共同体から受ける 「行動の制限」 や 「発言の制限」 を、すんなり受け入れられる ようになります。
  私は、50代半ばになっても、未だに、衰えることなく、 「心の自由」 を、追求しています。
 実は、その実現と同時に、社会のルールや、法律を守ることに対して、ストレスも減少しつつあります。
 

 

 逆に、セルフ・コントロールが、うまくいっていない状態。
 たとえば、本能、感情、理性の、何れかに偏った状態や、本能、感情、理性の、何れかが暴れている状態。
 このような状態で、 「心の自由」 を求めると、どうなるのでしょうか。

 たぶん、 共同体から受ける 「行動の制限」 や 「発言の制限」 に対して、強い反発を覚える のではないでしょうか。 

 

 その結果、周囲の人と、無用な摩擦が生じるかもしれません。
 それが原因で、社会活動において、十分な成果が得られないことも、予想できます。

 もし、 この状態で、社会のルールや法律に、従ったとしても、 「我慢」 が必要になるため、ストレスが残ります。
 だから、成功したとしても、長続きしないのではないでしょうか。 

 

 人間は、他者から、制限を受けると、ストレスを抱えます。
 また、もし、 制限を受け入れたとしても、そこに妥協や我慢があると、やはり、ストレスを抱えます。
 だから、 「行動の制限」 と 「発言の制限」 について、自分自身で、その意味を理解して、進んで守る、必要があります。
 そのためには、社会や人生に対して、理解を深める、つまり、人間的に成長することではないでしょうか。
 

 

 日常、不愉快なことが多い人は、たぶん、セルフ・コントロールが、うまくいっていません。
 また、 嫌われないために 「我慢」 することを、セルフ・コントロールと、勘違いしている かもしれません。
 アドラー心理学は、精神的自立のための心理学、でもあります。
 ぜひ、この本を読まれ、セルフ・コントロールの改善を、進めていただきたいものです。

 

 

05.「横の関係」 で、手に入る 「心の自由」      2014.11.30 

 

 セルフ ・ コントロール力を、高めるにあたり、さらに重要なのが、価値観です。 なぜなら、何を決める場合でも、自分の価値観が、基準になるからです。
 もし、 価値観に問題があると、セルフ・コントロールに、いくら力を入れても、不満足な結果に終わります。
 だから、自分の価値観を、客観的に見直す必要があります。

 

 その際、 注目すべきは、未成年期に刷り込まれた、偏見や先入観 ではないでしょうか。
 その多くは、家庭を中心に、育った環境などから、影響を受けたものでしょう。
 アドラー的に言えば、本人が自分で選択して、刷り込んだことになりますが ・・・
 特に、自己愛の強い親は、子供を支配する目的で、自分に都合のよい価値観を、子供に刷り込むものです。 

 

 その中で、最も有害なのは、他人に対するものでしょう。
 たとえば、学歴、職業、家柄、生い立ち、出身地域、国籍などに対して、偏見を持つ人たちがいます。
  相手の人格や能力を、検討することなく、表面的に、他人を差別します。

 対人関係に対する 「偏見」 の根底には、アドラーの指摘する 「縦の関係」 がある のではないでしょうか。 

 

 「縦の関係」 を持つ人は、自分の偏見を基準に、他人を上下に分けます。
 自分が見上げる人を、崇拝し、見下げる人を、さげすみます。
 このように、他人に関心が強いのは、依存しているからかもしれません。

 その結果、 対人関係に、無用な緊張感や、争いごとが生まれる など、これが不自由を感じさせる原因にもなります。 

 

 解決方法としては、 アドラーの提唱する 「横の関係」 を、頭の中に、たたき込む ことでしょう。
  私の場合、 「横の人間関係」 を徹底し、しかも、接し方は、誰に対しても同じ、つまり、ワンパターンです。
 お世辞やヨイショには、無縁ですが、相手に対して、一定の礼儀だけは、わきまえます。
 これが原因で、親しい間柄では、冷たいと思われたり、尊敬されたくて仕方のない人には、嫌がられるかもしれませんが。 

 

 人間が、 心に不自由を感じる、おもな原因は、対人関係から、発生している のではないでしょうか。
  だからと言って、常に上下を意識していると、自分の心も、不自由きわまりありません。
 一方、ワンパターンであれば、いつ、どこで、誰に見られても、同じなのですから、表裏に気をつかう必要もありません。
 「これでダメな相手とは、縁がなかった」 と、割り切れば、かなり大きな自由が、手に入ります。

 

 

6.「人生のための時間」 を確保する      2014.12.05 

 

 「心の自由」 を拡大するために、私は、時間の使い方にも、取り組んできました。
 なぜなら、時間の使い方によって、自分が感じる 「心の自由さ」 が、大きく異なることに、気づいたからです。
  その中で、最も有効と考えられるのが、 「生活のための時間」 と 「人生のための時間」 の区分です。

 ポイントは、 前者に追われることなく、後者を充実させる ことにあります

 

 世の中には、常に、忙しくなければいけないと、考えている人もいます。
 ある人は、忙しくなければ、充実した人生ではないと、考えているのかもしれません。
 ある人は、暇になると、悪いことを、想像してしまうため、不安から逃れるために、そうしているのかもしれません。

  しかし、その時間の 多くは、 「生活のための時間」 、あるいは 「意味のない時間」 ではないでしょうか。 

 

 人生を旅にたとえると、進むのは、 「生活のため」 と言えます。
 しかし、目的地、コース選択、移動方法、自分の状態、道路状況、経過時間、到着期限 ・・・ などの、確認も必要です。
 これらは、旅全体を決定づける、重要な要因です。

 人生に話を戻すと、 人生全体を決定づける、 「人生のため」 の重要課題について、本来は、じっくり検討すべき でしょう。 

 

 だから、 人生について、見つめ直す時間を、定期的に、確保すべき です。
 日常を離れ、一人になって、自分自身と、向き合わなければいけません。
 さらに、自分の思考や行動の基準である、価値観を高めるための勉強をする。
 一方では、せっかくの人生ですから、心から楽しむことも、忘れてはなりません。
 

 

 人生の目標、生き方、達成方法、自分の現状、周囲の環境、人生計画などを、自分で考える習慣をもつ。
 すると、 自分で、人生をコントロールしている、という感覚が、持てるようになります。
 つまり、人生に対して、主体性を取り戻すことができます。
 その結果、心が自由だと、感じられるようになります。
 

 

 40代後半、1日のうち、14時間を、仕事 (生活のため) と、勉強 (人生のため) に充てました。
 比率は、7:7です。
  もし、14時間すべて、仕事に充てていたら、精神的に疲れ果てていたにちがいありません。

 このような時間を、確保するようになって以来、私は、活力を取り戻すとともに、心も落ち着く ようになりました。

 

 

07.「時間の使い方」 をチェックする      2014.12.07 

 

 朝、起きてから、夜、眠るまでの間、自分は、どのような時間の使い方 をしているのか。
 1週間程度、記録してみると、よいのではないでしょうか。
 その時間を、次の3つに分けて、集計してみましょう。
 ① 人生のための時間  ② 生活のための時間  ③ 意味のない時間

 

 たとえば、一口に 「仕事をしている時間」 と言っても、実は、 ① 〜 ③ に、分けることができます。
 「① 人生のための時間」 とは、今後の発展につながることをしている時間 のことです。
 もし、失敗をしても、お金を失っても、未来につながる時間は、この中に含まれます。
 また、今の自分の状態 (能力や環境) や、仕事の内容を、客観的に見直す時間も、人生のための時間と言えます。
 

 

  「② 生活のための時間」 とは、お金のためや、保身のために、仕事をしている時間 のことです。
 そこには、 「仕事や人生」 を客観的に見直すという、観点がありません。
 盲目的に、昨日と同じ仕事を、繰り返しているため、変化についていけません。
 仕事そのものに対する喜びにも、乏しいと言えます。
 

 

 「③ 意味のない時間」 とは、未来への改善にも、つながらなければ、生活のためにもならない時間 のことです。
  残念ながら、このような時間が、 100% なくなることは、ありません。
 仕事であっても、ある程度は、許容しなければならないものです。
 なるべく、減らしたいものではありますが。
 

 

 若い人が、自分探しにかける時間は、一見、 「① 人生のための時間」 のように思えます。
 しかし、人生経験が乏しい中、頭だけで考えても、正解にたどりつく可能性など、限りなくゼロに近いでしょう。
 すると、自分探しの時間は、 「③意味のない時間」 になってしまいます。

 若い人は、自立と人生経験が目標ですから、 「② 生活のための時間」 の割合が、 80% 以上でもよい と考えられます。 

 

 しかし30代以降は、意識的に 「① 人生のための時間」 を、設けましょう。
 就職後の最初のステップが終わり、次のステップへ進むために、新たな目標が、必要になるからです。
 この時期を、安易に過ごすと、一生、 「変われない自分」 が、定着しがちです。
 その結果、定年退職までの、長い年月、 「生活のため」 だけに、つまらない時間を、延々と過ごすことになります。

 

 

8.「課題の分離」 で、他人事を切り離す      2014.12.08 

 

 29歳のとき、アインシュタイン博士の言葉にヒントを得て、考え方や、生き方を変えました。
 その後、試行錯誤しながら、構築してきたものが、アドラー心理学の内容と、ほぼ一致していました。
 時間の使い方も、この29歳を境に、大きく変わっています。

 最も大きく貢献したのが、アドラー心理学で言えば、 「課題の分離」 です。

 

 それまでは、毎晩のように、仕事が終わると、友人や同僚と、飲みに出かけていました。
 また、 「課題の分離」 ができておらず、他人事にも、首を突っ込んでいました。
 お節介な人は、しばしば、自分のことが疎かであったり、成長が止まっているものです。
  私も、その部類だったと、思います。
 

 

 「課題の分離」 ができない人のうち、迷惑なタイプは、おおむね、次の3つ に分かれます。
 ① 「他人の課題」 を、 「自分の課題」 と勘違いして、介入してくる
 ② 「自分の課題」 を、 「他人の課題」 と勘違いして、自分で負わない
  ③ ① と ② の両面を、あわせもつ
 

 

 「課題の分離」 ができるかどうか、その前後で、人間関係が変わります。
 「課題の分離」 ができないうちは、同じような人たちと、非生産的な時間を過ごすため、成長できません。
 「課題の分離」 ができるようになると、他人との付き合いは、あっさりしたものになります。

 問題は、 「課題の分離」 に、取り組み始めた段階 です。 

 

 周囲の人たちから、 「冷たくなった」 「付き合いが悪くなった」 と、非難されるかもしれません。
  しかし、これは、避けて通れない道なので、一切、気にする必要はありません。
 とにかく、 「自分の課題」 に、全力で打ち込むことです。

  もし、付き合うのであれば、同じように、 「自分の課題」 に、全力で打ち込んでいる人 を、選びましょう。 

 

 「自分の課題」 に取り組む時間は、少なくとも、 「意味のない時間」 ではありません。
 私は、29歳まで、他人事に費やしていた膨大な時間を、 「課題の分離」 によって、自分のために使うようになりました。
 心から自由だと、実感するとともに、人生そのものが、とても楽しくなりました。

 かつての私と同様、他人事にわずらわされている人は、 「課題の分離」 に、取り組まれてみては、いかがでしょうか。

 

 

09.「他人の自由」 を認める      2014.12.10 

 

 トレード・オフの関係とは、 「何かを得ると、何かを失う」 という関係 を言います。
  たとえば、製品の品質を上げると、コストも上がり、低価格が維持できなくなるケース。
 企業は、 「品質」 「低価格」 の何れかを選択することになり、妥協点を見出すことになります。
 その妥協点によって、市場における製品のポジションが決まります。

 

 反アドラー的な考え方を持つ人は、他人と自分を比較しやすいものです。
 すると、 人間関係にも、トレード・オフ的な考え方 を、用いがちです。
 たとえば、Aさんが得をすると、自分は損をする。
 Aさんが幸せになると、自分は不幸になるなど。
 

 

 自由についても、Aさんが自由になると、自分は不自由になると、考えるのかもしれません。
 だから、Aさんはこうあるべきだと、Aさんに対して、強い要求 を持ち続けます。
 もちろん、 「課題の分離」 もできていません。
 ところで、この考え方自体が、自分を不自由にさせている ・・・ のではないでしょうか。
 

 アドラーの影響を受けたと言われる、スティーブン・R・コヴィーの名著 「7つの習慣」 。
 この中には、いくつかの、人間関係が紹介されています。
 「Win−Loseの関係」 とは、自分が利益を得て、相手が損失を受ける関係。
 「Lose−Winの関係」 とは、自分が損失を受け、相手が利益を得る関係。
 

 

 これらは、トレード・オフ的な関係と、言えるのではないでしょうか。
 最悪の関係は、やはり、お互いに損失を受ける 「Lose −Loseの関係」 です。
  日本では、腐れ縁と呼ばれるものでしょう。

  目指すべきは、残る 「Win−Winの関係 (お互いに利益を得る) 」  しかありません。 

 

 これを、 「自由」 に当てはめると、相手の自由を認めることしか、自分の自由の実現ににつながらない ことが、わかります。
 つまり、相手を縛らないのと同時に、相手にも縛られない。
 そのためには、 「課題の分離」 とともに、相手を 「信頼」 しなければいけません。
 相手を信頼するためには、裏切られても、傷つかない強さと、人を見る目が、求められます。

 

 

10.自分は 「自分がこうあるべき」 だけを追求する      2014.12.11 

 

 子供のころから、自由な考え方をする方でした。
 さらに、行動力もあったため、年長者と対立することも、しばしばでした。
 しかし、それでも、固定観念や先入観に、縛られていたようです。

 当時は、 他人に対して、 「こうあるべき」 などと、思っていました。

 

 この本の中には、次のようなことが、書かれていました。
  他者の願望を、満たすような生き方を、してはならない。
  なぜなら、他者の人生を、生きてしまうから ・・・ と。
 実は、これだけでは、いけません。
 

 

 自分の人生を生きるためには、さらに、どうすべきなのでしょうか。
 それは、 自分のことや、自分の課題について、一所懸命、追求して、それを実践に移す、 必要があります。
 具体的には、自分のことを知り、セルフ・コントロールして、自分の能力を伸ばし、共同体に対して、貢献すること。
 最終的には、 「社会貢献のための自己実現」 に、行き着くはずです。
 

 

 だから、他人に対して、 「こうあるべき」 と、思う余裕など、ないはずです。
 それ以前に、自分を、何とかしなければいけません。

 他人に対して、 「こうあるべき」 と、思うこと自体が、実は、他人の人生を生きている。
  つまり、他人に縛られて、自分の人生を生きていない、ことになります。 

 

 「課題の分離」 から、アプローチしても、他人に対して、 「こうあるべき」 は、間違いです。
 そこには、相手が、自分の望む存在、であって欲しい。
 つまるところ、相手を支配したい、という願望が、存在しています。

  相手の人生を尊重せず、相手の存在を独立したものとして、認めていません。 

 

 私は、今、心から、 「その人は、その人の人生を、自由に生きればよい」 と、思えるようになりました。
 ただし、社会のルールの範囲内で、他人に迷惑さえかけなければ、という条件付きですが。
 そして、さらに、続きがあります。

 それは ・・・「私も、自由に、生きさせてもらいますから」 。

 

 

1.劣等感いろいろ      2014.12.14 

 

 「他人」 と 「自分」 との、比較から生じるのが、不健全な劣等感。
 「理想 (目標) の自分」 と、 「現実の自分」 との、比較から生じるのが、健全な劣等感。
 何れにしても、劣等感を抱きつづけるのは、辛いことです。

 人間は、どのようにして、劣等感から、逃れようとする のでしょうか。

 

 このブログでは、あえて、このテーマに触れずに、省略しました。
 なぜなら、生産的ではないからです。
 「何が悪いのか」 を追求すると、しばしば、そこに囚われ、そこで終わる恐れがあるからです。

 それよりも、 「何がよいのか」 を示して、さっさと前進すべき、 と考えたからです。 

 

 今回は、 「心の自由」 の観点から、このテーマに、触れてみましょう。
 人間が、劣等感から逃れる場合、 「A.健全な方法」 と 「B.不健全な方法」 の、2つがあります。

 「A.健全な方法」 とは、努力によって、劣等感を克服する ケースです。
 この本にも、例示されていますが、 「学歴が低いから、人の何倍も努力しよう」 などが、それに当たります。 

 

 一方、 「B.不健全な方法」 は、3つ、紹介 されています。
 ① 劣等コンプレックス ・・・ 劣等感を言い訳に使用する = 「もし学歴が高ければ、自分は成功した」
  ② 優越コンプレックス ・・・ 偽りの優越性に浸る = あたかも自分が優れているかのように振る舞う
  ③不幸自慢 ・・・ 自分の不幸を自慢する = 「あなたには、私の気持ちなどわからない」
 

 

 「A.健全な方法」 と 「B.不健全な方法」 とは、私が勝手につけたネーミングですが。
  ① 〜 ③ の 「B.不健全な方法」 が、よくないのは、当たり前と言えます。

  実は、 「A.健全な方法」 も、手放しで、よいとは言えない と、私は、考えています。
 たとえば、劣等感を克服して、努力の結果、名声を得た人が、すべて 「心の自由」 を得たとは、限らないからです。 

 

 劣等感がある → ひたすら努力する → 成功して克服する → しかし 「心は不自由」
  これでは、何のための努力だったのか、わかりません。
 その原因は、どこにあるのでしょうか。
 次回は、努力による 「劣等感の克服方法」 の落とし穴について、お話しします。

 

 

2.劣等感をバネにしない      2014.12.15 

 

 劣等感を、努力によって、克服するのは、むしろ望ましいと、この本には書かれています。
 たとえば ・・・ 劣等感があるから、人の何倍も努力しよう。

  その結果、 有名大学を出て、官僚やエリート社員、医師や学者、弁護士などになった人たちが、果たして全員、幸せでしょうか。
 反対に、高学歴でもなく、普通の人生を送る人たちが、果たして、全員、不幸でしょうか。

 

 「心の自由」 という観点において、 「幸福」 と 「不幸」 を、分ける点は、他にある と考えています。
 それは、 「他者貢献」 の意識があるかどうか。
 さらに 「他者貢献」 の意識は、対人面において、 「横の関係」 に存在します。
 反対に、 「縦の関係」 には、 「他者貢献」 の意識は、存在しません。
 

 

  「縦の関係」 には、必ず 「他人との比較」 が、前提としてあります。
  「他人との比較」 は、 「他人との競争」 を生み、競争には、必ず、勝者と敗者がつきものです。
 自分は敗者になりたくないし、かと言って、勝者になっても、勝ち続ける必要があります。

 最終的には、他人を敵と見なすため、一生、気が休まらず、 「心の自由」 を手にすることはありません。 

 

 だから、 「縦の関係」 のまま、劣等感を克服しようとしても、幸福にはなれません。
 努力の動機が、 「他者貢献」 ではなく、 「優越性の追求」 や 「我が身の保身」 になるからです。
 たとえば 「優越性の追求」 の場合、世の中には、上には上がいるため、いつまでたっても、ゴールが見えてきません。

  人生の最後まで、他人との比較に追われ、心は不自由きわまりない と、言えます。 

 

 「他人」 と 「自分」 との、比較から生じるのが、不健全な劣等感。
 「理想 (目標) の自分」 と、 「現実の自分」 との、比較から生じるのが、健全な劣等感。
  原点は、ここにあるのではないでしょうか。                                          

 だから、 「縦の関係」 のまま、 「不健全な劣等感」 を、努力によって、克服しようとするのは、間違い です。 

 

 もちろん、劣等感をバネに、努力して、成功するのは、素晴らしいことです。
 しかし、努力するからには、心から幸福になり、さらに、それが続かなければ、意味がありません。
 もし、劣等感をバネに、すでに努力を始めているとしたら、どこかで、考え方を変えることです。

 「横の関係」 を構築し、共同体のメンバーとして、他者に貢献する ことです。

 

 

3.悪魔に魂を売った人たち      2014.12.16 

 

 「横の関係」 を受け入れることなく、 「縦の関係」 のまま、強い上昇志向を持ち続けると、どうなるのでしょうか。
  頭の中は、他人との比較、つまり相対評価に支配され、他者承認を、貪欲に、求め続けることでしょう。

 この生き方の頂点を目指す人たちは、人生前半、理想的な人間を演じて、他者から賞賛 を、勝ち取ろうとします。
  表から見えるのは、理想的な 「仮の自分」 であり、あるがままの 「本当の自分」 は、裏に隠してしまいます。

 

 これが原因で、「本当の自分」 は、成長することなく、幼い状態のまま、放置 されます。
 一方、表にある 「仮の自分」 は、賞賛を受け続けます。
  何れが本当の自分なのか、次第に、わからなくなるのではないでしょうか。
 このように、根深い本能に身を任せ、自分にさえ嘘をつき続ける人たちのことを、私は 「悪魔に魂を売った人」 と、呼んでいます。
 

 

 やがて、人生が下り坂に差し掛かると、思うように賞賛が、得られなくなります。
 すると、彼らは、別人のように、傲慢に振る舞い、自らの欲望を満たそうとします。

  裏に隠れていた、未熟な 「本当の自分」 が、姿を現しただけなのですが、周囲からは、性格が一変 したように見えます。
 ただし、これだけなら、迷惑をこうむるのは、周囲の人たちだけです。 

 

 さらに、幸か、不幸か、人間は、自分を基準に、他人を判断する傾向にあります。
 つまり、正直者は 「他人も正直」 と思い、嘘つきの人は 「他人も嘘つき」 と、考えがちです。
 裏表を使いわけた人は、周囲がいくら正直者ばかりでも、決して、心を許すことができなくなるようです。

 晩年、力が弱ると、 強い猜疑心に襲われ、やがて神経が消耗し、向精神薬漬けになって、自滅 していく人もいます。 

 

 他人から、学ぶべきことは、よい面ばかりでは、ありません。
 悪い面があれば、反面教師として、学べばよい 訳です。
  さらに、親族や旧友とは、長く親しく付き合うため、これらの人たちからしか、学べないこともあります。
 その一生を通じ、内面を洞察すれば、何が真実なのかを、知ることができるかもしれません。
 

 

 私は、 このような人たちに、わずらわされつつも、そこから学びました。
 おかげで、他者比較、他者承認、他者操作、名誉や権力とは、縁のない世界で、生きています。
  できる限り、シンプルに、正直でありたいと、考えています。
 この意に沿うのが、アドラー心理学であり、この本をきっかけに、ますます、魅力を感じるようになりました。

 

 

4.「秀吉の夢」 と 「信長の夢」      2014.12.17

 

 悪魔に魂を売る人たちは、人生の前半、理想的な人物を演じます。
 本物との違いは、どこにあるのでしょうか。

 それは、 「本当の自分」 が 「理想の自分」 に近づくプロセスにおいて、精神的な葛藤があったかどうか、 ではないでしょうか。
 その部分を、省略すれば、理想的な人物に、早急に変身することも、可能でしょう。

 

 それでは、なぜ、安易に、理想的な自分を、演じてしまうのでしょうか。
 それは、 「他者承認」 など、強烈な本能的欲求が存在し、それを満たすため、なのかもしれません。

 アドラーも、本能に流される生き方は、奴隷であって、自由な生き方ではない と、述べていました。
 本能、感情、理性は、何れも、自分の人生を幸せに導くための手足であって、主人ではないはずです。 

 

 それが原因か、理想的な人物には、似つかわしくない、卑劣な一面も、時折、見せてしまいます。
  正体を見破る者がいると、憤慨し、猛烈に、攻撃を仕掛けてくることもあります。

 晩年に苦しむのは、本当の自分を放置したことに対する、天罰 かもしれません。
 自分の中の、未熟さと対峙せず、目先の成果だけを、追い求めた結果、自分自身をコントロールできなくなったのでしょう。 

 

 あくまで、私の想像の域に過ぎませんが、歴史上の人物の中では、豊臣秀吉が、このような生き方をしたのではないか、と考えています。
 家臣時代までは、理想的な人物でしたが、天下人になった後は、被害妄想に襲われ、多くの弱者の命を奪っています。
  また、自分の子供の将来ばかり案じるなど、武士らしからぬ、亡くなり方を、しています。
 現代で言えば、総理大臣が、国民そっちのけで、身内の将来ばかりを、案じているのと同じです。
 

 

 それでは、溺愛された息子の秀頼は、どんな人生を送ったのでしょうか。
 好青年ではありましたが、戦国武将として、生命力に欠け、大阪夏の陣で、悲惨な最期を遂げています。

 子供を支配したい親は、自分の都合で、子供を過保護に育てますが、それが、子供を不幸にする こともあります。 
 それでも、秀吉の天下統一が、大事業であったことに、変わりはありませんが。 

 

 「露と落ち、露と消えにし、我が身かな、浪 (なにわ 大阪のこと) のことも夢のまた夢」
  これは、秀吉の辞世ですが、自己愛の強い人らしく、最後まで自分を憐れみ、夢という言葉で、綺麗に演出しています。
 「人生五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を受け、滅せぬ者のあるべきか」

  こちらは、信長が好んだ敦盛の一節、同じ 「夢」 でも、人生に対する、強烈な主体性と現実感には、大きな開き があります。

 

 

115.「優秀さ」 は、何で決まるのか      2014.12.19 

 

 以前、お話ししましたが、 私は、次の3名の著名人に、共感しました。
  アルフレッド・アドラー        (心理学者 1870〜1937)
  アルベルト・アインシュタイン  (物理学者 1879〜1955)
  ピーター・F・ドラッカー        (経営学者 1909〜2005)

 

 共通するのは、 「オーストリア生まれ」 のみと、お伝えしました。
  しかし、その後、それ以外に、大きな共通点が見つかりました。

 それは、 ユダヤ人であること。
 また、ナチスの迫害を逃れて、晩年を、米国で過ごしていることです。 

 

 偶然ですが、私はこの本の後、加瀬英明著 ユダヤ人の知恵 を読みました。
 その中で、 「考え方の重要性」 について、心底、自覚することができました。
  成功するかどうか、優秀であるかどうか、幸福になれるかどうか、豊かであるかどうか、賢明であるかどうか。

 これら 人生の重要事は、人種、遺伝、出身等によるものよりも、 「考え方」 が大きく影響する ことがわかりました。 

 

 ご存じのように、ユダヤ人は、世界で最も優秀な民族、ではないでしょうか。
  ノーベル賞受賞者数をはじめ、政治、経済、科学、芸術など、幅広い分野で、驚異的な成果を挙げています。
 それでは、ユダヤ人とは、どのような人をいうのでしょうか。

 ユダヤ人とは、ユダヤ教の教えに基づいて、生きている人 のようです。 

 

 つまり、 「人種」 では、ありません。
 ユダヤ国家は、紀元70年に、ローマ軍によって滅ぼされ、ユダヤ民族は、世界各国に分散させられました。
  その後、世界各国の人種と婚姻し、現在は、様々な言葉、肌の色、外見を備えています。

 しかし、 未だに、その優秀さは、衰えていません。 

 

 その 優秀さを決めているのは、ユダヤ教の 「考え方」 や 「生活習慣」 など でした。
 私は、ユダヤ人が、どのような考え方をするのか、非常に興味を持ちました。
 本来は、 「タルムード」 と呼ばれる、1万頁以上の書物を、理解しなければいけませんが、それは、一生、不可能でしょう。
  次回は、 「お金と自由」 との関係について、現在、私の知る、ごくわずかな範囲内で、お話しします。

 


  C.お金に精通する

 

 

16.「お金」 が、もたらす自由      2014.12.22

 

 お金は、しばしば、私たちに自由を提供 してくれます。
 料金を支払って、バスや電車に乗れば、楽に、移動することができます。
 その間、暑さ寒さをしのぎながら、本を読んだり、空想にふけったり、居眠りをすることもできます。
 歩くよりも、時間が短縮できるため、自由時間も増えるし、より遠くへ、出かけることも可能になります。

 

 しかし、命よりもお金が大切になると、寿命を縮めます。
 お金が、他人よりも大切になると、他人を利用したり、他人を信じられなくなります。

  さて、 ユダヤ人は、お金に対して、どのような考え方をする のでしょうか。
 この先も、加瀬英明著 ユダヤ人の知恵を、参考にしましょう。 

 

 仏教や、キリスト教では、もともと、 「お金は汚いもの」 と、考えました。
 これにより、かつては、日本でも、 「清貧 (せいひん 経済的に貧しくとも、心が清い状態) 」 を、尊びました。
 1980 年代、質素倹約で有名だった、土光敏夫さん (臨時行政調査会会長) の、夕食のおかずも、メザシでした。
 実は、あのメザシ、1 本、千円だったという噂も、ありますが。
 

 

 ところが、ユダヤ教では、 「清貧」 を善とは、しません。
  金銭欲を否定しないため、お金儲けを、卑しいものと考えず、お金そのものも、非常に大切 にします。
 また、一方では、週に 1 日、お金のことから、解放される日を設け、家族と過ごしたり、自分や人生について、考えるそうです。
 一週間を 7 日と定め、休日を設けたのも、紙幣を考案したのも、ユダヤ人なのだそうです。 

 

 結論から言うと、ユダヤ人は、お金に対して、精通しています。
 お金がもたらす、利益も、害も、知り尽くした上で、人生に役立てている、 と言えます。
 使われるのではなく、あくまで、使う。
 つまり、お金に対しても、強い 「主体性」 を、発揮しているようです。
 

 

 お金は、人生の良薬にもなれば、猛毒にもなります。
 何れにするのかは、自分次第であり、どの程度の大金まで、正気を維持できるのかも、自分次第です。

 やはり、 ユダヤ人のように、お金に対して、精通することが、賢明 ではないでしょうか。
 私は、宝くじを買いませんが ・・・ もし、宝くじに当たったら、どこかに寄付して、前日までと、同じ生活を続ける予定です。 
 

 

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代表社員 税理士 今井 睦明


1960年生まれ 名古屋市出身 1989〜1993年 税理士試験 法人税法、消費税法、事業税、簿記論、財務諸表論、全5科目合格
 
1994年税理士登録 日本税理士会連合会 登録番号 税理士法人3430 税理士78397 名古屋税理士会名古屋北支部所属

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