小事に囚われない生き方 2011.07.01
1.小さなお金に囚われると大きなお金を失う
小利を顧みるは、則ち大利の残なり (しょうりをかえりみるは、すなわちだいりのざんなり)
韓非子の中の一節です。「小さな利益に囚われると、大きな利益を失ってしまう」という意味です。お金に関して言えば「基本中の基本」。商売に関しても「鉄則中の鉄則」と言えます。ところが、このような失敗はなかなか跡を絶たないものです。
身近なところでは、特売日に不要なものまで買ってしまうケース。このくらいならまだ許せますが、高額配当につられて詐欺事件の被害者になった人や、わずかな賄賂に手を付けて失脚した政治家などは、後悔、先に立たずと言ったところでしょうか。
2.苦しいときにわかる企業体質
最近は業績不振の企業も少なくありません。そこでマーケティング系の戦略本を開くと、次のようなことが書かれています。「新規顧客開拓はコストがかかります。お金のかからない既存客への売り込みを強化して、客単価を引き上げなさい」。
しかし当社が苦しいときは既存のお客様も苦しいものです。「せっかく今まで取引してやったのに、苦しい時にさらに売りつけるとは何ごとだ」ということになります。目先の小利に囚われると、顧客そのものを失う恐れもあるでしょう。
長年、利益をもたらしてくれたお客様であれば、今後も取引が続くように、相手の経済的負担を減らす工夫も必要です。ただし単純な値引きのみでは、当社の財政状態を苦しくするだけ。ここでピンチをチャンスに変えられるかどうかが問われます。
3.大きな損失を免れるために、小さな損失を受け入れる
韓非子の一節は「小さな利益に囚われると、大きな利益を失ってしまう」という意味でしたが、これは利益のみならず損失にも当てはまります。小さな損失を恐れると、もっと大きな損失を被ることも少なくありません。
たとえば車のリコール問題。小さな損失を恐れて発表をためらっていると、信用失墜を含め損失額はどんどん拡大します。また不動産や株式の場合、バブル崩壊直後に損切りができなければ、企業生命を脅かすほどの問題にまで発展することがあります。
自分が乗っている船が「ドロ船」なのかどうか。経営者は各取引ごとにチェックする必要があります。もしドロ船だとわかれば、一刻も早く船外に脱出すべきです。小さな損失を受け入れることができれば、敗者復活戦でその損失を取り戻すこともできます。
4.小利を要求する人、大利を呼び込む人
ある会社に様々な理由をつけて小金を要求する社員の方がみえます。これだけが原因ではないと思われますが、社長さんから今ひとつ信頼されていません。一方、他社の話ですが、社長さんから絶大な信頼を寄せられている社員の方がみえます。
損得抜きで仕事に打ち込んだ結果、同僚の倍近くまで昇給しました。小利に囚われなければ、信頼という財産を築くことができます。信頼は小利とかけ離れた大利を呼び込むこともあります。この知恵の深さの違いに気づくべきではないでしようか。
小さなお金に頭を悩ませる暇があったら、仕事量を増やす。仕事に関する勉強をする。仕事に関する技術を磨く。仕事に関する情報を収集する。仕事に関する人間関係を豊かにする。これは経営者のみならず、サラリーマンにも求められる姿勢です。
5.経営者こそ小さなことに囚われない
思う。悩む。努力する。これらは何れも重要です。しかし、さらに重要なのは、何を、思い、悩み、努力するのか、です。この「何を」が間違っていると、いくら一所懸命、思い、悩み、努力したとしても、すべてがつまらない結果に終わります。
それでは小事に囚われると、なぜ大事がうまくいかなくなるのでしょうか。それは大きなことと小さなことを同時に見るのは、至難の業だからだと思います。小さなお金に囚われると、世の中の大きな理屈や仕組みが目に入らなくなるのではないでしょうか。
このような経営者は、大きな決断を下すことができません。なぜなら結果が予測できないからです。経営者が決断を下さなければ、企業は立ち往生します。こうならないためにも、経営者こそ小さなことに囚われすぎないように心掛けたいものです。
6.視点を変えると、もう1つの世界が見えてくる
造物は涯りあり、而して人情は涯りなし。涯りあるを以って涯りなきを足らせば、勢い必ず争う。故に人、足るを知れば、則ち天下、余りあり。(ぞうぶつはかぎりあり。しかしてにんじょうはかぎりなし。かぎりあるものをもってかぎりなきをたらせば、いきおいかならずあらそう。ゆえにひとびと、たるをしれば、すなわちてんか、あまりあり。)
物には限りがあるが、人間の欲望には限りがない。限りない欲望を、限りある物で満たそうとすれば、必ず争いが起きる。だから人々が自分の欲望をコントロールして、「現状でも十分足りている」ことに気づけば、物が不足することなどありえないだろう。
出典は呻吟語。食事を美味しく取る方法は2つあります。「ご馳走を食べる方法」と「お腹を空かせる方法」。毎日ご馳走を食べ続ければ、どんなご馳走でも不味く感じられるようになります。逆にお腹を空かせれば、どんな食事でも美味しくいただくことができます。
7.運を天に任せてベストを尽くす生き方
19歳の時、伊藤肇著「人間的魅力の研究」の中で、幕末維新を颯爽と生きた桐野利秋のことを知りました。小事に囚われず、線が太く、陽性で、実行力のある人物だったそうです。その桐野利秋が好んだ詩句を、私は50歳になった今も憶えています。
死生命あり、富貴天にあり。(しせいめいあり、ふうきてんにあり)。「寿命に恵まれるか、お金に恵まれるかは、天の意志によって決まる・・・あれこれ悩んでも仕方がない。結果は天に任せて、自分はベストを尽くそう」。
人生にはどうにもならないことがあります。それに対して、延々と悩み続ける生き方もあれば、運を天に任せてベストを尽くす生き方もあります。どちらの生き方を選択した方が、よりよい結果をもたらすでしょうか。ここにこの言葉の真価があると思われます。
8.死生命あり、富貴天にあり。
前述の「死生命あり、富貴天にあり」を、論語(顔淵篇)からご紹介して、今回の終わりとしましょう。
司馬牛、憂えて日く、「人は皆兄弟あり。我独り亡し」。子夏日く、「商これを聞く、死生命あり、富貴天に在り、と。君子敬して失うなく、人と恭しくして礼あらば、四海の内みな兄弟なり。君子何ぞ兄弟なきを患えんや」。
(しばぎゅう、うれえていわく、「ひとはみなきょうだいあり。われひとりなし」。しかいわく、「しょうこれをきく、しせいめいあり、ふうきてんにあり、と。くんしけいしてうしなうなく、ひととうやうやしくしてれいあらば、しかいのうちみなきょうだいなり。くんしなんぞきょうだいなきをうれえんや」。)
司馬牛が嘆きました。「他の人には兄弟がいるのに、私だけがどうして独りぼっちなんだろう」。これを聞いた子夏が次のように慰めました。「寿命に恵まれるか、お金に恵まれるかは、天の意志によって決まるという。それよりも謙虚な心で、礼儀と慎みを忘れずに人と接してみたらどうかな。世界中の人がみな兄弟のように君のことを慕うだろう。そうすれば兄弟がいないと嘆くこともなくなるよ」。
※参考文献
伊藤肇著「人間的魅力の研究」P84〜85
守谷洋著「中国古典一日一話」P77 「論語の人間学」P196
祐木亜子訳「心に響く呻吟語」P80〜81